だから、世界は美しい-2
平屋の我が家の一番西、そこがじいちゃんの部屋だ。
久々に入るその八畳程の広さの和室は、たった数日部屋の主がいないだけなのに、埃っぽい上になんだか臭って顔をしかめたくなる。
けれど同時に、この独特の鼻につく臭いに懐かしさも感じた。
「うわ」
入って早々、眼前に広がった光景に思わず声が漏れる。
「相変わらず、凄いな」
独り言を零しながら、その何も知らない人が覗いたら異質な室内へ足を踏み入れた。
真っ白なキャンバス、スケッチブック、メモ用紙の切り端、特売だから買ったというルーズリーフに、広告チラシの裏側。
昔から、ありとあらゆる白紙にじいちゃんは趣味で絵を描いていた。
人物画も風景画も沢山。
そしてそれは無造作に、かつ微妙な配置で隙間なく全面の壁と天井に貼り付けられていて。窓と扉以外、どこを見渡してもじいちゃんの描いた世界に取り込まれる。
毛並みの良い黄金の尻尾を振りながら、今にも絵から飛び出してきそうな生気に満ち溢れた犬。
眺めているだけで顔が綻ぶ、汗と泥だらけで遊ぶ幼稚園児の無垢な笑顔。
母親の羊水に包まれているように穏やかで優しさに満ち溢れた海と、父親の背中のように広く一遍の曇りもない空。
無機質なコンクリートジャングルの中、道端で茎を逞しく凛と伸ばし、綿毛の種子に夢を馳せるタンポポ。
その白とも桃色とも取れる淡い色をした花びらは、隙間なく一面に咲き誇り、今にも額縁から舞い落ちてきそう。これは例年よりも早く咲いた今年の桜だろうか。
他にも沢山、数え切れないくらい敷き詰められた数々の絵。全部全部じいちゃんが描いた絵だ。
鉛筆、水彩、パステル、水墨画もあれば、僕が幼少の頃に使い古した色鉛筆にクレヨンも。
イーゼルを使う時もあれば、寝たままだったり。
緻密で繊細な線を幾重にも重ね、生命力に満ち溢れた輪郭を作る時もあれば。いきなり珍妙な配色で塗りだして、しかしそれは完成すると絶妙なバランスの色合いになる。
その描き方は様々で統一感なんてない。
唯一同じなのは、その全てが美しいということ。
―――俺は美しいものしか描かない
それがじいちゃんの口癖だった。
「変わらないな」と呟く。
この部屋はじいちゃんにとってはアトリエ。そして俺には小さな美術館。小さい頃は恰好の遊び場でよく入り浸っていたのだ。
じいちゃんが描く世界を覗き見ては心惹かれていた。
じいちゃんは老人の道楽だと笑っていたけれど、子供心にだって、じいちゃんの絵の凄さは感じていた。
口を閉じることを忘れて、呼吸すら疎かになる。心が騒がしい程に震えて、瞬きするのが勿体無い。
俺はそんなじいちゃんの絵が、そしてじいちゃんが大好きだった。
そして、それは幾ら年月が経っても変わらない。
今だって、ほら。
幼い記憶と寸分違わぬじいちゃんの絵に魅入ってしまい、全身が総毛立つ感覚に襲われているんだ。