だから、世界は美しい-3
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じいちゃんの入院先は近所の市立病院だった。
お袋から聞いた病室へ向かう途中、廊下で見知った人影が窓を眺めているのが見えた。
「親父」
人影に声を掛けると、目線だけが此方を向き、その腕が小さく上がる。
光の加減か、目元には影が落ちていて酷く疲れているように見える。
親父は上げた手をそのまま横へとやる。指の先にはじいちゃんのネームプレートがついた病室があった。
入口をくぐると鼻腔がツンとした。
それはいつもじいちゃんからしていた絵の具の臭いでじゃない。老人が放つ独特のものと消毒液の匂いが混じったみたい。
すぐにベッド際に立つお袋の姿を捉えて、僕は口を開いた。
「お―――……」
袋、と続けたかったのに言葉はピタリと止まってしまった。ベッドで眠るじいちゃんが視界に入ったからだ。
目を瞑ったまま、ベッドに伏せているじいちゃん。最後に顔を見た年始の記憶よりも更に幾分痩せていて、頬はすっかり痩けている。血色の悪い土色をした顔が僕の不安を煽った。
その閉じられた瞼が永遠に開かれないような錯覚を覚えて、僕はそれを退かすように頭を大きく振った。
「悠人?」
いきなり頭を振り出した僕に、お袋は心配そうな視線を送る。
何でもないよと紙袋を渡すと、お袋は「悪いわね」と受け取り。そのまま眠っているように見えたじいちゃんに声を掛けた。
「お義父さん、ほら悠人が来ましたよ」
すっかりベッドに沈んだ体は反応がなくて、一瞬心臓がチクリと痛んだ。
けれど、数秒(とても長く感じたけれど)するとじいちゃんはその瞼を大層重たげに押し上げた。
すっかり白の割合が勝って青とも灰色ともとれる、そんな黒眼が此方に向けられる。
「あぁ……悠人元気か」と言った、多分。
じいちゃんの絞り出す声は途切れ途切れで、声になりきれない。聞こえたのは苦しい呼吸音だけだった。
唯一、口の動きがじいちゃんの伝えたい言葉を理解させてくれる方法で、その唇の形を僕は見逃さないようにした。
「一人暮らし大変だけどさ、元気にしてるよ。大学だって頑張ってるよ」
無理矢理つくった笑顔を貼り付けて答える。
俺の言葉を反芻するようにじいちゃんは何度も嬉しそうに頷いた。
それから、面会時間が終わる間際までずっとたわいもない会話をした。じいちゃんに合わせて緩やかな遣り取りだったから、時間の割りに交わした言葉はいつもより少ない。
明日また来るから、とじいちゃんに告げて病室を後にする。すっかり寝静まった廊下を三人で歩く。