DEAR PSYCHOPATH−8−-1
僕らの中で最年少だった高橋隆が殺されたのは、それから数日後のことだ。正確に言うと殺されたかどうかは定かではないのだが、行方不明になってしまった以上、そう考える方が妥当だろうとのことだった。勿論、そう言ったのは流だ。
これは後で彼から聞いた話なのだが、どうやら高橋隆という少年は、もともとはどこかの大きな精神病院に入っていて、そこからこの倉庫に行き来していたらしかった。そんな彼の死は、僕らの中にわずかでも波風を立てることはなかった。
意外にも、この僕でさえ動揺はしなかった程だ。今度は、ケイコさんの入れてくれたコーヒーを飲みながら、流と話し込んでいる。内容はこれからの対策についてだ。彼はいつものように愛用のパイプ椅子に座りながら、テーブルを挟んで正面に座っている僕を見ながら言った。
「エド・ゲインはどこからか私たちを観察しているはずです。そうでなければ、隆をこうも簡単に殺せるはずがありません」
僕はカップをテーブルに置いた。
「この中にスパイでもいると?」
彼はかぶりを振った。
「そうは言っていません。ただ、話がうますぎるような気がして」
「私もそう思うわ」
パソコンをいじっている手を止めてケイコさんも言う。
流の視線が動いた。
「エド・ゲインは、強敵です」
「今も昔もね」
そう言って彼女はフッと笑い、ゆっくり立ちあがると、何とも説明のしようのない奇妙な表情を見せてボソリと呟いた。
「それにしても、カムヤはどこまで買い物に行ったのかしら」
真夏の快晴。
まるで太陽を背負っているような気がしてくる程クソ暑い日だった。こんな日は愛用のナイフで体の皮や肉、内蔵をとり出して骨だけになってしまいたいとカムヤは考えていた。
「アツイ・・・ナ」
彼は既に二時間近くもの間、この商店街を目的もなくウロウロと徘徊していた。
倉庫を出て来た時は確かに目的があったのだが、それも今となってはもうどうでもよくなってしまったのだ。彼は新しいサバイバルナイフを手に入れたかった。
しかし、気に入った物がどの店にも置いてなく、とうとう買うのを断念したのだった。白井カムヤは、母親が日本人で父親がフランス人とぞくに言うハーフだった。
そのため、彼はいつも周りの人間たちにどこか特別扱いされてきた。それは、カムヤにとってはいじめにもとれる程のつらいものだった。見られることを肌で感じ、噂されることを心から恐れ、過敏になりすぎた神経は徐々に擦り減っていくようだった。そんなある日のこと、彼は不思議な人物と出会った。場所は夢の中で、妙に懐かしく感じる。しかもその人物とは、自分自身であって、しかし他人だった。彼の名前はエドモンド・ミル・ケンパー。筋金入りの凶悪殺人犯だ。
カムヤは日を追うごとに、この殺人犯にのめり込んでいった。そして彼がサイコパスとして目覚めたのが、十四歳の時だった。こともあろうに彼は、たった一人しかいなかった親友を殺害してしまった。後悔なんてものは一切抱かなかった。
そればかりか、その日は歓喜の表情を顔に張り付けたままで眠れる程、それは喜ばしいことだった。親友は行方不明として捜査が進められたが、カムヤが疑われることはなかった。そればかりか、周囲から同情される程、彼は自分を作る天才だった。大人たちの前で大切な親友のために号泣し、自分も、さも被害者のように振る舞っていたのだ。誰もが彼の前ではまるで操り人形のようだった。結局、その事件は証拠の一つもあげられないまま迷宮入りとなって終わってしまった。
カムヤは夢の中で、芸術にも似た、エドモンドの殺しの手口を何度も観察し、それを実行に移したのだから、証拠が出ないのも当然のことだ。しかしこの事件が迷宮入りとなった最大の理由は、少年カムヤのとった大胆極まりない行動にあった。信じられないことに、彼は親友の死体を調理し、何日にも分けて食していたのだ。しかも骨は様々な方法で粉にし、何も知らない家族にまで口にさせていた。
彼は、自分だけが知っているという喜びに酔っていた。
「シカシ、アツイナ」
カムヤは額から伝う汗を右手で拭うと、足を止めた。信号が赤に変わったのだ。
「シンゴウハ、キライダ」
信号が青に変わるまでおよそ五分待って、彼は再び前へ踏み出した。その交差点は、かつて僕、酉那忍と須貝流が初めて出会った場所だった。ぞろぞろと足並みをそろえ、白の縞を渡る群衆の中にはカムイの姿もあった。むかいからも、同じような数の人波が押し寄せ、交わり、それぞれがそれぞれの間をぬって先を急いで行く。そしてカムヤがちょうど、交差点の中央より少し前へ差しかかった時だった。自分の胸のあたりから「すみません」という、か細い声が聞こえて彼は足を止めた。
「ダレダ?」
眉を寄せながらカムヤは言った。少年はニコリともせず、カムヤの顔を見あげている。透けるよう白い肌や、長い眉とまつげはまるで無垢な少女を連想させる。
少年の濡れた唇は言った。
「白井カムヤさんですよね」
カムヤは頷こうとした。次の瞬間、彼は腹部に激しい痛みを感じ、歯を食いしばった。頭の奥底で、何かがプツリと切れようとするのを何とか堪え、下を見る。
息を飲んだ。痛みの原因は、腹に根元までブッスリと刺さっているナイフだった。
「ア・・・グゥ?」
足の先から力が抜け、彼は少年に多いかぶさるように倒れかかって瞼をきつくとじた。
「痛い、ですか?」
笑いをかみ殺して、少年は言った。
「オ・・・マ、エ・・・マサ・・・カ」
傷口を押さえている右手の指の間からは熱い血が流れ出している。カムヤは浅くなり始めた呼吸を何とか整え、唇を噛み締めた。
「これだけの人がいるんだから、一人くらい死んでも誰も気づかないでしょう」
耳元からは、少年の無邪気な笑い声が静かに聞こえてくる。息はしだいに冷たくなり、魂は体温と一緒に足元から抜けて行くようだった。そしていつしか、彼の視界は無数の足と小さなモヤのかかった車しか見えなくなっていた。熱かったはずの地面は、母親の胎内にいるように心地よく、懐かしく、眠気を誘った。
「おやすみ」
少年が囁く。
カムヤは薄れていく意識の中、一言だけ消え入りそうな声で呟いた。
「エド・・・ゲイン」