やっぱすっきゃねん!VE-16
「これ、オレのだけど使えよ。その外野手用じゃ握りが見えちまうだろ」
差し出された左投手用グラブに、佳代は顔をほころばせる。
「ワアッ!いいの?」
「ああ、マウンドを楽しんでこいよ」
「ウンッ!」
グラブを受け取り、マウンドに掛けて行く。その後ろ姿を眺めながら、稲森は直也の顔を見た。
「直也。初めてのマウンドなんだ。気持ちよく送り出してやろうぜ…」
少し離れた場所から、やり取りを聞いていた永井の口許は微笑んでいた。
(…なんだか、遠い…)
初めて立ったマウンド。
ブルペンと同じのはずなのに、達也のしゃがむ距離がもっと離れて感じる。
達也は両手を大きく広げる。“心配すんな。オレが全部捕ってやる”とでもいいたげに。
佳代はセットポジションから右足を胸の高さまで上げ、上体をわずかにひねる。
右足を前に降ろしながら、右肩を正面より左に閉じている。
右足のスパイクが土を噛むと同時に、背骨を中心軸にして左右を回転させ、遅れて左腕がしなるように伸びてくる。
達也のミットには、女とは思えないキレのあるボールが収まった。
(こりゃスゲえ。同じ左でも、正吾とはタイプが違うな)
投球練習は無難にこなせた。バッターは5番から。
「プレイッ!」
達也のサインは真っ直ぐ。佳代は頷く。
セットポジションを取り、投球動作に入る。バッターも動きに合わせてステップした。が、腕が出てこない。
タイミングがズレたところに速いボールが投げ込まれた。
バッターは必死に打つが、完全に差し込まれ、ファースト・フライに打ち取られた。
(やった…アウト取った…)
ひとつホッとする佳代。
その時、彼女の鼻の頭に何かが触れた。
(なに…?)
空を仰ぐ。今度は頬に当たった。
「雨…」
垂れ込めた雲がついにガマン出来なくなったようだ。ポツポツと降り出した雨がグランドを濡らし始める。
佳代は気にすることも無く、ただ、達也のサイン通りに投げた。6番バッターをスライダーで三振させると、続く7番もスライダーでサードゴロに仕留めた。
ここで雨足は一挙に強まり、試合続行は難しくなった。
永井と多島中の監督は話し合い、これ以上続けるのは無理と結論づけた。
わずか10球。佳代が初めてピッチャーとして投じた球数。
しかし、それは彼女にとって忘れられないモノとなった。
…「やっぱすっきゃねん!V」E完…