そして私は俺になる-1
全力で自転車を漕いだ。冷たい夜風が頬を叩く。立ち漕ぎで、ひたすら速く走る事だけを考えた。俺の前を走っている奴は誰もいない。俺が先頭だ。
東北自動車道の側道は、勾配の緩い坂道になっていて、深夜に近づくと車も人も通らない。そこは夜中のこの時間だけ俺達のサーキットになる。塾帰りの俺達はいつもここで、世界で最もママチャリを速く走らせることのできる男を決めるレースを行う。ふりをする。
トップを走っていた俺の背後から、激しい金属音と息遣いが迫ってきた。奴だ。このレースが始まって以来、常にチャンプの座に輝き続ける男。赤いマシン(ママチャリ)に乗っている事から、赤い皇帝と畏れられていた。清野番長が来る。
清野番長は俺を鮮やかにオーバーテイクして走り去っていった。俺は清野番長が十分先行するのを確認して仲間に手で合図する。全員、曲がれ! と。その合図で俺の後ろを走っていた仲間たちが全開でブレーキを効かせた。F1だったら、全マシンのタイヤから白煙があがりテールランプが赤く点灯することだろう。そして、俺達は爆走する清野番長を残して、側道沿いの住宅地の路地へとママチャリを走らせる。
しばらくみんなは無言で夜中の住宅地を走っていた。十一月を過ぎた頃から、寒さが本格的になってきて、常に短パンを履いている海老沢は、見ているこっちも寒くさせた。
側道から大分距離の離れたところに来て、突然キョウが笑い出した。俺も堪え切れなくなって笑った。みんなも同じように笑い出していた。
「今日も、清野番長を撒けたな」
キョウが大笑いしながら言った。
「番長、相変わらず速かったな。番長は太ってるから、坂道だと重力の力を見方にして無敵なんだよな。でも、最初のテツのスピードが速すぎて、今日は番長ついていけないんじゃないかって思ったけど、さすが赤い皇帝だ」
「いや、俺も今日は番長に勝つ自信あったんだけどね。やっぱ、マシンが違うね」
俺の一言で、みんなが更に笑った。番長は、自分のチャリンコをマッハチャリと命名していて、かなりピーキーなチューンでじゃじゃ馬だぜとよく言っている。世界で番長しか扱えないらしい。俺たちはピーキーがどういう意味なのかは知らなかったけれど、番長がピーキーと言う時に声を裏返して言うのがツボで、よく真似していた。うお、この牛丼マジでピーキーだぜみたいな感じで。
「それにしても番長いつも撒かれるのに、なんで僕たちを抜いてくのかな?」
俺たちの中で一番頭のいい小谷が心底不思議そうに言った。
「そりゃあ、生まれながらのレーサーだからじゃねえの? 俺の前は何人たりとも走らせねえってよく言ってんじゃん、番長」
番長は、本気でそう思っているらしい。俺たちが番長を撒く時の方法は二通りあって、一つは、今日やったようなガチンコ対決パターン。もう一つ、清野番長公道最速伝説パターンというのがある。これは、清野番長と塾から帰宅している途中にスープラなどのスポーツカーと出くわす事がある。その時に、番長軽く捻ってやってくださいよと言うと、マッハチャリに跨った番長と、スープラが信号を合図にバトルを始め、俺達はその隙に逃げる。そして、十分距離をとった地点で番長を笑い飛ばすといったものだった。
とにかく、番長は俺たちの溜まった受験のストレスを発散させてくれる、ありがたい存在だった。平成十一年の十一月、俺達は、よく笑っていた。