そして私は俺になる-2
午後七時の湘南新宿ラインは異常に混んでいた。私の周りで必死に吊革につかまる男達の表情は私の感情を逆なでした。澄ました顔をして席に座っている老人や若者もそうだった。みんな暗い顔をしている。人生に疲れていて、生気のかけらも感じさせない。それでも、わずかな自分のスペースを確保しようともがいている。そして、私はこいつらに押しつぶされている。
自分の駅について、やっと満員電車から開放されると思ったら、携帯電話が鳴った。妻からだった。
『今日、これから出かけるから、帰りにお弁当買ってきてくれない? 渚と翔の分もね』
『ああ、わかったよ。なあ…いやなんでもない』
そう言って、電話を切った。なあ、こんな遅くに出かけないで子供をかまってやれよと言うことができない自分が情けなかった。妻はどこに行くのかは知らないが、家を空けることが多く、家事全般を満足にこなさなかった。毎日の食卓にはコンビニ弁当が並ぶことが多い。だからと言って私は妻に文句ひとつ言うことができない。
家の近くにあるコンビニに立ち寄って、三人分の弁当を買った。レジで温めてもらっている間に外を見ると、一台のバイクが止まっているのが目に入った。カワサキGPZ900Rニンジャ改。古いバイクだ。私が生まれた頃のバイクだから、三十五年以上前のやつだ。今どき、あんなものに乗っている人がいる事に驚いた。燃費がバカみたいにかかるはずだ。
その時、私の脳裏に閃光が走った。清野番長もバイクが好きだったことが思い出されたのだ。このニンジャを見たら喜ぶだろうな。でも、それができないことに気付いた。
清野番長はもう長いこと入院しているらしい。交通事故だった。バイクに乗っていた番長は股関節をダメにして、何度も手術を重ねたあげく、今も歩けない状態で入院している。働いていた修理工場もクビになったという。それでも、私は見舞いにすら行っていない。見舞いに行って、どんな言葉をかければよいのかわからなかったから、かつての同級生にそんな姿を見せたくないだろうから、言い訳はいくらでも思いついた。いや、今の姿を見られたくないのは私の方かもしれない。
ニンジャはかつて自分が最も輝いた時代のまま時間が止まったかのように悠然と佇んでいた。それを見ながら、昔の友達が入院している時に見舞いに行かないなんて、私はなんてひどいやつなんだと思った。
キョウは俺たちのリーダーだ。俺とキョウはいつも一緒にいる。キョウの隣は、なぜか居心地がよかった。どんなに不安な時でも、キョウといれば安心できた。キョウは、言ってみればジャニーズ系の顔立ちをしていて、髪の毛と瞳が生まれつき茶色かった。運動神経万能で、受験シーズンに入ってからは成績もうなぎ上りだった。はっきり言って反則である。俺はキョウと親友のつもりだった。キョウも俺のことを親友だと思っていてくれたはずだ。でも周りからすると、天才のキョウと凡人の俺はどう見ても、親分と子分、金魚とフンの関係に見えるはずだ。だから、そう思われるのは嫌だったので、なるべくキョウとは逆の事をしようと心掛けていた。キョウが理系なら、俺は文系、ギャッツビーならジェレイド、ラルクなら黒夢といった具合に。そのような関係で、俺達は小学生の頃からずっと一緒だった。
その日も、俺はキョウと一緒に下校していた。俺とキョウは色々な話をする。受験の事、友達の事、洋服の事、ゲームの事、映画のこと。今までキョウとたくさんの話をしてきたが、話題が尽きたことは一度もない。
「フェイスオフのさ、ニコラスケイジの溺れた場面の顔、ひどかったよな」
「ああ、あれは情けなかったな。でも、あれでもアクションスターだからな」
俺達は最近、映画にはまっていた。だからといって、アカデミー賞をとるような映画の良さがわかるわけでもなく、ただド派手なアクション映画を片っ端から見るだけだった。中でも、ジョン・ウーの映画をよく見た。チョウユンファ主演の男達の挽歌を見た日は、ユンファがかっこよすぎてなかなか寝むれなかったのを覚えている。