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そして私は俺になる
【青春 恋愛小説】

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そして私は俺になる-10

 マンションのドアは蝶番のところが壊れているらしく、開け閉めしると気味の悪い音をたてた。大家にいくら言っても、直しに来る気配はなかった。

「パパ、お腹すいたー」

 靴を脱いでいると、渚がとことこ駆けてきた。渚。妻がこの名前にしようと言った時、私は何か大きな違和感を感じたものだ。その時は、その理由がわからなかったのだが、帰宅するまでの間にずっと頭をよぎっていた中学時代の記憶のおかげで、ようやく合点がいった。私の初恋の女性と同じ名前だったのだ。

「パパが、おいしいお弁当を買ってきたからご飯にしような」

 たかがコンビニ弁当なのに渚は無邪気にはしゃいで、寝ていた翔を起こしに行った。こんなに幼い子供達を残して家を空ける妻の気が知れない。

 それにしても、とっくに忘れていたはずの中学時代の記憶がなぜこうも鮮やかに蘇るのか。たいして楽しかったわけでもないのに。考えるのをやめようと思っても、それは私の頭を占領し続けた。橋本由里なんて、もうずいぶん思い出していない名前だった。たしか、彼女の両親にとても冷ややかな目で見られたことがあった。そう、あれは卒業式の時だ。なんでだっただろうか。その答えはすぐに頭に浮かんできた。





 十二月の中学三年生はピリピリしている。あのケイスケでさえもが、テツ、七の段って言えなきゃまずいかな? とか聞いてきたのだ。でも、こんな空気の中でも俺は勉強する気になれなかった。というか、勉強する必要性が感じられなかったのだ。そんなことよりも、今はまっているビーズのCDを買い集める方がよっぽど有意義な気がした。

最近の俺はカノジョといることが多くなった。キョウとはなぜか会いにくくなっていたし、ケイスケや小谷は受験の追い込みで忙しかった。

しかし、ここで問題が起きた。カノジョといるのはいいのだが、俺にはカノジョと何をすればいいのかわからなかったのだ。だから、他の奴らのモノマネをすることにした。他の奴らがするように、カノジョを由里と呼び、他の奴らするように毎晩電話した。そして、他の奴らと同じようにデートをして、キスをした。

はっきり言って、カノジョといて楽しいのかわからなかったが、友達はみんな楽しいと言うのできっと楽しいのだろう。

ある日、由里の家に遊びに行った。女の子の家に行くのはとても緊張したが、由里の家にはお父さんもお母さんもいなかった。二階にある由里の部屋には小さな石油ストーブがあって、石油を抱えて階段を上るのは大変だろうなと思った。由里の部屋にはゲームもテレビもなく、マンガすらなかった。女の子は友達と遊ぶときに何をして遊ぶのか心の底から不思議に思った。

俺達はそこで初めてセックスをしようとした。なんでそうしようと思ったかというと、友達がやっていたからだった。しかし、今までみたいに簡単にはいかず、ひどく緊張して、上手く勃たなかった。あれ、なんでだろう、おかしいな。俺は何度も同じ事をつぶやいた。そうしているうちに、全身を閃光のように悪寒が走り抜けた。

―俺は何をしているんだ。

激しい罪悪感と嫌悪感がはじけるように生まれ、頭がくらくらした。そのまま、視線を下に移すと、むき出しになった自分の下半身がなんとも汚らわしく、俺はあわててズボンを履いた。そして、由里の顔を見ないようにしながら部屋から走って逃げた。

由里の家を出て、とりあえず俺は全力で走った。速く、力の限り速く走った。それでも、それは俺を追いかけてきた。振り向いて見てみると、それはババアの旦那さんの震える手だった。そして、忘れようとしていた全てが俺の全身に染み渡った。俺はごめんなさい、ごめんなさいと何度も泣きながらつぶやいた。

走るのに疲れて、俺は立ち止まった。しかし、そうしていると捕まってしまうので、また走り出す。走りながら事故の起きた日のことを何度も思い出した。その事を思い出す度に胸に激痛が走る。何度も、何度もその激痛を感じた。その痛みがだんだん和らいでいき、それが感じられなくなった時、俺は走るのをやめた。全身が疲れきっていて、気付くと靴が片方脱げていた。それでも、それは決して不快ではなく、むしろ心地よかった。事故の事を思い出してしまったが、俺は二度と脅えることはないのだろうなと思った。


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