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あなたをずっと忘れない
【家族 その他小説】

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あなたをずっと忘れない-1

枕へ埋めていた顔をゆっくりと持ち上げ、洟をすする。
睫毛に張り付いた涙のせいで視界がぼやけている。
右手で拭おうと身じろぎしたとたん、沁みるような痛みと共に胸の奥から嗚咽がこみ上げてきた。
まずい、と思った次の瞬間、ようやく治まったはずの涙と洟が再び流れ出した。心の弱りきった今の私には抗う術などなく、感情の波に押しつぶされそうになりながら、濡れた顔を枕へ押し付けるしかなかった。
切れ切れに吐き出されはじめた自分の泣き声が、まるで他人のもののように、くぐもって聞こえた。シーツを握る手の中には、あの子の温もりがまだきちんと生きている。当の本人は、もうこの世にいないという事実が、その暖かさをよりいっそうリアルに感じさせた。
そうやって、五分ほど泣いただろうか。
ふと電池が切れたように、私はおとなしくなった。
ゆっくり首を捻じ曲げ、壁掛け時計へ目をやる。
あの子――クロが逝ってから、一時間が過ぎていた。



クロは、私が十歳を迎えた日に我が家へやってきた。
ペットショップで値札もつけられず檻の中に置かれていたのを、仕事帰りの父がもらってきたのだ。血統書のない、いわゆる雑種と呼ばれる種類の犬だった。
父が抱えた段ボール箱のふたを、頭で持ち上げるようにしながら顔をのぞかせた彼は本当に小さくて、そして、ほんの少しだけ私や父に対して怯えているように見えた。
クロという名前は私がつけた。
耳の先から尻尾の先まで褐色の瞳をのぞけば完璧な黒色をしていた彼には、それ以外の名前なんて当てはまらないと思った。ちょっと探せばきっとどこにでもあるはずの、ありきたりな名前だ。けれど彼に命名したその瞬間から、クロという二文字は私にとって特別な響きをもつものになった。



どうにか起き上がると、体の節々が痛みで悲鳴を上げた。
ひどい倦怠感だ。ここ数日、まともに眠った記憶がないのだから無理もない。再び時計を見上げる。ため息を漏らしながらうなだれると、私は床へ投げ出された自分の足の先へ視線を落とした。
父と母は今頃どのへんだろう。
道がすいていれば、きっともう着いているはずだ。ひょっとすると、すでにクロの火葬をしている最中かもしれない。
二人はクロの亡骸を連れて、近くのペット霊園へ行っている。
私は自宅に残った。とてもそんな気力は残ってはいなかったし、骨になった彼を直視する自信も正直なかった。家族を失ったのは父や母も同じはずなのに、それでもこうしててきぱきと次の行動に移れるのは、やはり大人だからなのだろう。私には、とても真似出来ない。
ベッドから腰を浮かすと、わずかな眩暈を覚えた。
何度か両目をしばたいた後、自室のドアを押し開けゆっくりと階段をおりた。静まり返った家の中で、私のたてる物音だけがやけに響いて聞こえた。キッチンを横切り、ふらつく足取りで玄関先へ向かった。
きっちりと閉じられたドアが外の明かりを遮断しているせいで、昼間だというのに辺りは薄暗かった。
傘立て。ゴルフバッグと革靴。スニーカー。サンダルにハイヒール。今でこそそれらはそれぞれの場所に点在しているが、以前はすべて右手の隅に揃えられていた。反対側一帯は、まだ幼かったクロが寝床として使っていたのだ。
 彼がいた場所を見つめていると、なんだか幼いクロがうっすらとだけど見えてきそうな気がした。彼の存在は、彼がいなくなった今でも残り香のようにそこかしこに残っている。
だから家中どこにいても、彼の気配を感じることが出来る。それはきっとこれからも変わらないはずだ。
そういえば、あれはいつのことだっただろう。クロがもらわれてきてから一週間、もしくは二週間くらい経ってからだっただろうか。私たちは、ここで一緒に眠ったことがあった。


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