山茶花-3
それからしばらくして、私は仙台へ異動となった。初めて係長という肩書きを貰った。
入社当時、20人だった従業員も今では40人。私は会社の成長が自分の事のように嬉しかった。
仙台に赴任して数ヶ月経ったある日、新規の商談が本社から舞い込んで来た。相手は北海道、小樽の水産会社だ。
話はトントン拍子に進み、後は契約を交わすだけとなった。この話がまとまれば、社にとって大変な利益を産む代物だ。
私は新人を連れて、小樽に訪れた。前日に現地入りして明日の契約に備えた。
街で夕食を済ませ、宿泊先のホテルに戻ると携帯が鳴った。姉の亜紀からだった。
「なんだ?いったい…」
私は携帯の通話ボタンを押した。
「オレ。和哉…どげんしたと?」
電話越しに焦燥感に満ちた亜紀の声が聞こえた。
「…和哉、すぐに戻って来ちゃり。母さんが…母さんが…」
嗚咽混じりの声。私は胸にせり上がる不安を覚えた。
「母ちゃんが!どげんしたとや!?」
むせび泣く声だけが電話から聞こえる。次の瞬間、電話口の声が親父に変わった。
「…和哉…母さんな、事故にあって…助からんかもしれん…」
(そんな…)
「…友達と買いモンに行って…横断歩道ば渡りよる時に、トラックが突っ込んで来て…」
再び聞こえた姉の声に、私の身体は震えた。
「和哉!待っとるけん、帰って来ぃ!」
“今すぐ飛んで帰りたい!”私はそう思った。
しかし、明日の契約は絶対に決める必要がある。新人を残してこの地を離れるわけにはいかなかった。
「…姉ちゃん…悪いけど、すぐは帰られん…」
「アンタ何言いようと!母さんが待っとるとよ。仕事の方が大事かとね!」
ヒステリックに泣き叫ぶ姉の声が胸に刺さる。
「…すまん…明日は、大事な契約があるけん…」
しばしの沈黙を置いて、声が再び親父に変わった。
「和哉、気にせんでよかぞ…おまえは仕事ばしっかりやりやい。母さんもそれば望んどった…」
「……」
私は、何も言わずに電話を切った。
「…母ちゃん…」
私はその夜、眠る事が出来なかった。
母が亡くなったと知らされのは、契約を終えた日だった。