『お宝は永久に眠る』-2
時は遡り、一日前のオーレス大陸南東地方のクリスティナ王国城下町。
中央広場から四方に伸びる大通りを外れ、路地裏に入ったところに小さな建物が建てられている。
城下町と言えど一日や二日では歩き通せないクリスティナ王国ならではの、余程城下町に精通していない限り一般の民が見つけることは出来ないであろうこじんまりとした場所だ。
乞食や犯罪者の跋扈する細い路地を歩き、その建物に訪れたのはあの男。旅装束ではなく、薄手のカットソーと人口獣皮で出来たロングパンツという出で立ち。
看板が掛けられているわけでもなく、どこか周囲から隠れ住むようにして建てられた古めかしい家である。観音開きの木戸を潜り、入り口で建物の中を見渡す。
ここへ来るのは三年ぶりになるが、相変わらず埃臭さが漂っている。
所狭しと並べられた本棚に薄汚れた書物が並べられ、ほとんどの窓を遮っているためか明かりという明かりが見受けられない。人気はなく、誰も住んでいないあばら家と思えそうなほどだ。
ギーッと木戸が軋みを上げる中、男は逆の手順を踏んで扉をノックする。二度ほどコンッ、コンッと乾いた音が室内に響き、再び静寂が戻ってきた。
大通りから外れたそこには、賑わう城下の喧騒など聞こえてこない。喧しい子供でさえ、路地裏を探検しようなどという勇気は起こらないらしい。
いや、だからこそ、隠れ住むには打って付けの場所なのだろう。
「居るんだろ? 俺だよ、ジェイドだ。ジェイド・ユウスだよ」
ノック程度の音では気付かぬのか、はたまた見知らぬ訪問者を警戒したのか、家主が出てこないことに痺れを切らせて男が名乗る。
しかし、一向に家主が姿を現す気配はない。
仕方なく、溜息を一つ吐いてからジェイドと名乗る男は室内に足を進める。床板が古く、一歩ごとに軋みが耳朶を撫でた。
本棚に区切られた通路を真っ直ぐ進み、奥に開けたスペースへとたどり着く。多量の書物とスペースに置かれた数脚の机は、一見して書店のようにも思える。
それでも閲覧者が居るわけでもなく、奥に進めば進むほど光とは無縁の暗黒世界へと堕ちてゆく。
そこで、ようやく一筋の明かりを見つけてもう一度溜息を吐いた。
闇の中で僅かに自己主張しつつも、闇に紛れようとしているかの如き小さな石油ランプの灯。それにぼんやりと映る女の顔が、橙色に染まりながら目線を下に落としていた。
手元には千頁はあろうかという分厚い書物。
それを一心不乱に捲る手付きは、本の虫と呼ぶに相応しい生体活動だ。文字の羅列を目で追うごとに顔が左右に微動し、ランプの明かりよりも赤い前髪が小さく揺れる。
もう少しで数メートルの半径に入ろうというのに、家主の女はジェイドに気付く気配がない。
「おい、メニール。メニール・エッゲト」
ジェイドが女の名らしきものを呼ぶ。
ここまで近づいて気付かぬわけもあるまいが、メニールなる女は現実から目を逸らしたがっているかのように書物に記述された文字の羅列を追う。
気付かない――否、気付かないフリをしたメニールに、ジェイドは怒りとも呆れともつかぬ複雑な感情を抱く。
強いて言うならば、謝意だろうか。
「…………」
言葉では埒が明かないと知ったジェイドは、手近にあった本棚の書物を適当に物色する。
学業時代に少しばかり齧っただけの他国語の、小難しい論文書を選び取る。
「久しいな」
目次の頁を開いたところで、背中に声が投げかけられる。
振り向いたそこに、メニールが顔を上げて静かにこちらを見据えている。
「私との約束に遅れて来た時、その翌日に、読めもしない南東諸国の諸国語で書かれた錬金魔術の論文書を朗読した。一番苦手な授業だったのに、な」
忘れもしない、学業時代の思い出を語り出す。
待ち合わせの時間に遅れてしまったジェイドを、同級生以上の関係だったメニールは口を利こうとしなかった。多少ならば許されるだろうが、半日以上、しかも理由が寝坊となれば殴り倒されても仕方のない遅刻だった。
「無視し続けた私は、お前の間違えだらけの翻訳に思わず笑ってしまったんだ。花束でもなければ、女が喜びそうなアクセサリーでもない。本を一冊読み上げるだけ。誰がそんな謝罪に気付くものか」
呆れ口調で言われてみて、今更ながら自分でも馬鹿らしいと思える謝意の表し方だ。けれど、昔から交渉下手で、誰かに謝った記憶のない意地っ張りな自分らしい。
そして、手にした本を本棚に戻そうと視線を移したところで、その時の論文書であることに気付く。