飃の啼く…最終章(中篇)-15
「これで、いつでもヤッチーと一緒に居られるんだね」
カジマヤは言った。涙の跡の残る顔で振り向いた兄に、彼は言った。
「だって、ゥンミー(姉さん)はウミカジ(海風)と一緒にいったんだから」
兄はおずおずと微笑んだ。笑うことを忘れかけていた男の、それは少しぎこちない微笑ではあったが、暗闇の中の一条の光のように、それはなによりも彼自身の心を照らしたのだ。
それから兄は酒を絶ち、ひたすら鍛錬に励んだ。亡き妻の仇をとるためではなく、今生きている皆の命を護るために懸命に働いた。それでもカジマヤは、あの日、八条さくらが止めを刺した大澱みの核に、一番刃を突き立てたかったのが兄だったのだということを知っている。知っていながら、無謀に突っ込んでいかなかった彼の心中も、少しは分かっているつもりだ。
―だから、死ぬなよな、ヤッチー。
カジマヤは思った。
―俺はヤッチーみたく強くないんだから、きっと酒に溺れて、毎日泣いて、そのまま海辺で真っ白な殻になっちまうまでそのままだよ。
彼は海沿いに、敵の居るビルに向いながら不安な時間を過ごした。長のウティブチが、戦が始まる前、皆に言っていた。仲間とはぐれ、どうしたらいいかわからなくなったら、とりあえず逃げろ。そして待て。そのまま一人で突っ込むなんてことはしちゃいかん。何か起るまでそこでずっと待機してるのじゃ。死ぬならば、無駄死にだけはしてはならんとな。これが青嵐の言葉じゃ。分かったかの?
―何か起るまで。
青嵐が行き当たりばったりになにかをするような奴ではないことは皆が知っている。だからカジマヤもその言葉を信じた。今のところ、敵からの襲撃は受けていないが、代わりに仲間にも会っていない。一人だって、遠くに見かけるということすらない。
あれだけ沢山居た軍勢はどこに行ったんだよ。
カジマヤは不安になった。そんな不安を突き動かすような、深い緑の海が余計に彼を苛立たせた。ため息をつくのはこれで何回目か…。
「ん?」
カジマヤは足を止めた。何か…動いたような…?
辺りを見回しても、ヒトの姿は見えない。まさか敵かと刀を構え。耳を澄ませる。しかし、ひゅうひゅうと吹く風の音以外、他に聞こえるものはなかった。気のせいか、と刀を下ろして歩き始めた時、脱兎の如く自分の目の前をかけてゆく小さなものが見えた。
「あっ!」
カジマヤの声に、その小さなものは振り向いた。
「あっ!」
澱みではない…しかし、その小さいものは虻の羽音のような声をあげて一目散に海に向って走っていった。
「あ、ちょ、待てよおい!」
そして、追いかけていくうちに陸地が尽きた。これでもう逃げられないだろうと思ったカジマヤの目の前で、それはためらいもせずに海に向かって飛び込んでしまった。