飃の啼く…最終章(中篇)-14
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カジマヤは、自分のふるさとの海が恋しかった。太陽の光を遮られた、この東京の海は深緑に濁って、何を運んでくるのか、なにをさらってゆくのかも全てを覆い隠すようにそこにある。遠くの山陰のように連なる白波があるわけでもない。気持ちのいい地平線が見えるわけでもない。
そして、兄のことを思った。兄は、彼の妻を喪ってから長いこと、彼女が死んだのは自分のせいだといって泣いた。そして、酒を飲んだ。自分にとって兄は、完璧な規範を持ちその通りに生きる、人生の見本のような存在だった。その兄が夜明けまで酒を飲み、小さな子供のようにカジマヤに泣きつく姿に彼は困惑した。彼はいつも、妻の遺灰の入った袋を握り締めていた。
―兄ちゃんのせいじゃないだろ。
誰もがそう思っていることを言ったまでだ。しかし、ただ一人兄だけがそう思っていなかった。
―おれはなぁ、カジ、あいつを一生護るって誓ったんだ。誰でもない、この自分の命にかけて誓った。それなのに、あいつは死んで、俺は生きている…
そして兄は、生まれて始めて“死にたい”と口にした。それは釘のようにカジマヤの脳裏に突き刺さり、ずっと、ずっと残った。多分、兄にとってもそうだっただろう。次の日、目が覚めると兄は何事もなかったように海へ降りていった。彼の妻が大好きだった海だ。カジマヤは、兄を一人にしておいてやれというみんなの忠告を無視し、後をつけた。兄はやっぱり泣いていた。酒を飲んでは泣き、思い出の場所に行っては泣く。カジマヤは、そのうち兄が、涙と一緒に他の沢山の大事なものを流して、死んだ珊瑚のように真っ白な殻になってしまうのではないかと思った。
「ヤッチーが死んだら、俺は悲しいな」
寄り添うというほどでもなく、かといって遠過ぎない距離に、カジマヤは腰をおろした。
「きっと、今のヤッチーみたいに、毎日泣いて暮らすよ。もしヤッチーが死んだら…何で死んじゃうか、原因はわかんないけど、きっと、あれこれ考えて、あれなら出来たはずだ、ああすれば死ななかったんじゃないかって、考えると思うんだ。それで、ずっとずっと、自分を責め続けて生きると思う」
兄は顔を上げなかった。はじめから声を上げずに、涙の流れるに任せて彼は泣いていたが、今はその涙が止まっていることがわかった。カジマヤも、兄も、海を見たまま座り込んでいた。
「でもさ、ヤッチー…自分がそうなった時、オレにそうなって欲しいかい?」
兄は答えなかった。長い沈黙が二人の間に流れた。その間にも、カジマヤは答えを求めなかった。
ふと、兄は立ち上がって、握りしめていた遺灰の入った袋を開き、中身を掌に空けたそして、何も言わずにそれを海風に託した。お互い何も言わず、全ての灰がゆっくりと、とけるように手の中から消えていってしまうのを見ていた。