飃の啼く…最終章(前編)-14
「逃げろといったのに。これだから狸は困ります」
南風がくすりと笑った。御祭はからからと笑ってから、
「見栄張って一人で戦うなんて馬鹿をするのは狐くらいなもんだからなぁ、どうにも助けてやらんと夢見が悪くなりそうでなぁ」
二人は久しぶりに笑って、お互いの身体をかばいながら立った。
「細君はご無事でしたか?」
「ああ。おれを叱り飛ばすのを楽しみに待ってることだろうよ。何しろ止めるのを聞かずに出てきちまったもんだから」
「ありがとう、御祭」
御祭は熱を冷ますように手を振った。
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息が切れるまで走ったことはなかった。たいてい、追いかける奴が彼の俊足に追いつけなくなって諦めるから。でも、いまカジマヤはどうしても、追いかけてくるものを振り切ることが出来ずにいた。
―恐怖
逃げ込んだ下水道の、よごれた通路にしゃがみこんでうずくまる。震えがとまらない…はく息すら、寒くもないのに震えていた。
―とっとと行け!
夕雷はどうしただろうか?擾と、あの化け物相手に…でも、あんなに仲間がたくさんいたじゃないか、きっと大丈夫だ。きっと大丈夫だ。きっと…大丈夫、なのか?
コォーン、と、長いトンネルの奥で、何か音がした。体がびくっと震えて、見開いた目で暗闇の奥を覗き込む。
―何か来る。何か来る!
夕雷が負けたのだ。鎌鼬が皆あいつにやられてしまったのだ。カジマヤの心は益々恐怖で一杯になった。
―飃兄ちゃんも、死んじゃう前にはこんな気持ちを感じたのだろうか。
そんなはずは無い。カジマヤは思った。
―お前は飃ではない!
兄の言葉が蘇る。そうだよ、オレ、飃兄ちゃんとは違う。飃兄ちゃんみたいにはなれない。
音が近づいてくる。一刻も早くその場を離れなくてはいけないのはわかっているのに、足が言うことを聞いてくれなかった。
ふと、3日前の夜明けのことを思い出す。俺は、青嵐のやつの言葉に、喊声を上げたんじゃないのか?皆と一緒に、奥津城まで駆け抜けると言ったんじゃなかったのか?兄貴は、俺がそういうのを止めなかった。俺も一人前の戦士だと認めてくれたから。
一人前の戦士じゃないか。一人前の戦士だろ?シーサーの戦士は、小さくても勇猛果敢。西方の獅子の血脈を継ぐシーサーであるこのオレが、背中に傷を受けて死んだら…兄貴が泣く、お袋が泣く…アリスも、きっと泣く。そして何より…そんな俺を、ウリジンベも、姉貴も…迎え入れてはくれない。
カジマヤは、それまで頑として動かなかった足が、急に滑らかに動くのを感じた。彼が向ったのは、音から遠ざかる方向ではなく、その音の聞こえる方。一欠片の光も無い下水道の闇の中で、彼の髪は松明のように煌いた。