飃の啼く…第26章-2
「ごめんな」
真っ黒なフルフェイスヘルメットのシールドは、唇の動きを遮ってしまうだろうから、彼はそう口にしながら、誤るように手を上げた。妹が父と母を呼び、二人が運転席と助手席から振り向いた。
母が窓を下げた。
「どうしたの?」
会社員、専業主婦、高校生。
「おれ、ごめん、行くわ」
「行くってどこに…?」
父、母、妹。
「ちょっと忘れ物した、すぐ戻るよ!」
母の目が曇る。父は、多分何かを察したんだと思う。
「すぐ追いつけよ。何かあったら電話しなさい」
そう言って、動き始めた流れに乗って進んだ。母はまだ心配そうに振り返りながら、それでもその内見えなくなった。
生き残れよ、生き残れ。無事にばあちゃんの家まで着いてくれ。
大和大和は最後に家族の顔を見ると、エンジンを唸らせて来た道を戻った。
そして、イナサの事を考えた。
避難する住民の車でごった返した渋滞が途切れ、彼の車線にも、反対側の車線にも車の姿が見えなくなった。その頃には、もう躊躇など微塵もしていなかった。天気が良くてガソリン満タンで、イナサに会いたいなら逢いに行けば良いのだ。今がこんな状態だろうと関係ない。無力だろうが足を引っ張ることはあるまい。
常々抱いていた疑問の答えは、まだ見つからない。しかし、そんな疑問すら今は、大和の心に浮かぶことは無かった。
住所、というか彼女が住んでいる所は知っている。いや、厳密には彼女の住んでいる山の名前を、だ。
それが失敗だったかも知れないと、大和が思ったのは大分後になってからだった。
イナサは手を止めた。
「イナサ様、どうしたの?」
悪い予感なのか、良い予感なのか、彼女の心がざわついた。彼女を取り囲む5人の子供たちが、皆不思議そうに彼女を見つめていた。