Stormcloud-20
直接香雲に会えば、正気に戻ってくれるかもしれない。そうだ、そうしよう。今は何も教えてくれないけれど、神立だって居るのだ。聡明な哥さんのことだ、きっと神立が話したがらないことも聞き出してくれるだろう。そうすれば父上に取り次いでもらえる!
「春雲」
彼女はびくっとして振り返った。優しい哥、頼りになる香雲哥さんの顔は、今は仮面の笑顔のように不気味だった。
「あ、兄上…」
あえて嬉しいはずなのに、どうしてこんなに胸が騒ぐのだろうか?
「今回のことは残念だった。私も出来る限り狗族を信じようとしたのだけれど…」
春雲は遮って言った。
「本当なの?門衛が、狗族に殺されたのは本当?」
「ああ、本当だ…。私はそれで心を決めたのだよ、春雲」
二人きりの時に、こんな子供をなだめるような声で話しかけられたことは無い。些細な異変さえ春雲の心を掻き乱した。
「な、何の…?」
「我々は澱みに組する。そうして、乱れた世界を作り変えるのだ…これはとても崇高な使命なのだよ、春雲」
首筋の後ろにのしかかる哥の手を、これほど不自然に感じたことは、無かった。
「ちがう、香雲哥さん!何故だか判らないけれど、澱みはきっと良くないものです!哥さんは…寒雲に騙されているんだ!」
いつもの春雲は必死になるあまり、いつもの仮面がはがれかけていることに気付かなかった。
「誰にそんな事を聞いたのだ?狗族たちからかい?」
「違う!友達がいるの!何でも教えてくれる友達が!哥さんに合わせてあげる!本当のことを聞かせてあげるから!」
哥の眉が、ピクリと動いた。
「その友達は、今ここに居るのかい?」
何故だかその言い方に不安を覚えた春雲は、自分でも無意識の内に嘘をついた。
「え、いいえ、今は居ないけど…」
哥は満足したように春雲に詰め寄っていた身体を離した。
「わかった。だけど、あまりそんな事を言いふらしてはいけないよ、みんなを不安にさせてしまうからね」
「は、はい。兄上…」
話をすれば元の哥に戻ってくれると思っていた春雲は、かえって心の重みが増えたような気がした。
「神立!」
春雲が思ったとおり、彼はそこに居た。動物園の檻のように並ぶ牢とは別に地下にある、言うまでも無く一番みすぼらしい部屋だ。光も入らず、暗く、不潔で、たとえ一番重い罪を犯した龍だってここには滅多に入らない。彼は、息を切らして鉄格子をつかむ彼女を見た。
「馬鹿者!なぜさっき本当のことを言わなかったのじゃ!?」
人払いをしておいたので気兼ねなく大声を出せた。しかし、神立は彼女からぷいと顔をそらし、素気無く言った。