飃の啼く…第24章-16
「命と知性を持つ貴方がたは、実に面白い存在です。とても無力なのに、我々など足元にも及ばない強い何かを持っている。その力を発揮せしめるものは、その有限性であると私は結論付けました。つまり、死という終わりがあって初めて、生がある…生も死も無い我々には解しがたいことではあります。しかしそれ故に澱みは、人間や、神族の持つ生と死にひどく憬れ、自らの存在を、始まりも終わりもない穢れとしてではなく、有限性をもつことで消滅するまでの時間に意味と個性を与えることを試みたのです」
―愛し合うこと、子を持つこと。思えば、澱みの羨望の対象は、彼らには決して許されることの無いものだった。
「おわかりですか。プラトンの定義するところに拠れば、それはエロースという愛の形なのだそうです。完全なものであることへの追求…己の欠損を自覚し、自分にないものを他に求め、憧憬し、求める。可笑しいでしょう」
可笑しくなんかなかった。確かに、澱みのしてきたことは許せない。許せないことをやってきたんだ、彼らは。しかし、彼女の話を聞いて、その根底にある狂おしいまでの愛情がわかってしまった。生は、死があって初めて意味をなす。そして死は、生があるからこそ重要な意味を持つ。
同じように、憎しみとは、愛があってはじめて生まれるものだ。短いようで長い戦いの日々の中で、私の心はとっくにそのことを知っていた。彼らは、生きとし生けるすべての存在が愛おしくて、愛おしくて…そんな風になりたいと願いながらもそれが叶わぬことを知っていた。
だから、滅ぼすことに決めた。
「ですから、お願いです。私に死を与えてくれませんか」
「え―」
「貴方がたの言い方をまねることを許していただけるならば、私はもう“生に倦んで”しまったのです…間もなく、澱みと尊いものたちとの最後の戦が始まるでしょう、そうなったら、私もいずれ消滅せざるを得ません。私が貴方の訪れを待っていたのは、他ならぬ貴方に私を殺して欲しかったからです」
「だから、何で私に…」
辛かった。澱みがこんな風に話すことが出来るなんて知らない。澱みが、こんな風にものを考えることが出来るなんて知らない。こんな風に何かを一心に、そして真摯に求め、じっと待ち続けることが出来る存在だったなんて、知らない。
「人間にも神族にも頼めないのです。しかし貴方は、八条皐月の娘。狗族でも人間でもない、八条さくらという存在だ。私はこの牢の中で、ほんのわずかずつ貴方のお話を耳にしました…勇敢で、慈愛に満ちた貴方なればこそ、私の死を人間と同じように看取ってくれるのではないかと思ったのです」
私は首を振った。出来るわけがないと、初めて思った。澱みを消滅させることを拒みたいと。
「だから貴方にお話しました。哀れな澱みの在り様を。どうか罪の意識など感じないでください。貴方の手にかかった澱みは、安んじてその消滅に、自らの生死を見出すことが出来たでしょう…たとえそれが、虚妄の産物であるとしても」
「で…」
涙は流すまいと決めていた。私は涙を流すまい。もう戦いは始まっている。泣いていては、涙で雲って前が見えないから。
「でも…」
手を突いて、うなだれたまま歯をかみ締める私の頭に、彼女はそっと触れた。
「貴方は優しい子です。私があえて言わなくても、貴方には最初からわかっていたのでしょう?澱みがこの世で一番、哀れな存在であるということに」
「それでも…私は澱みを、許せない!」
聞き分けの無い子供のように、私は首を振り続けた。