Stargazers-1
「リデルさん?聞いてます、リデルさん?」
聞いてはいたが、受話器は耳から離れていた。体中の血が砂に吸い込まれてしまうようだ。血を吸い込んだ砂が堅く固まってしまうように、体が動かなくなっていることもはっきり認識していた。
「今すぐ病院にお越しください、あなたのお父様は…」
言われるまでもない。
―わたしのパパが、死にかけている。
電気も消さず、玄関の鍵だけ閉めて、彼女は暮れ始めた空の下に飛び出した。
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何処までも蒼い海は、いっそう蒼さを増してゆく。夏が深まるごとに、一日ずつ。昨日の嵐のせいでまだ少しだけ海の濁りはあったものの、それでもなお、この海の美しさに勝るものを彼は見たことが無い。ガラス細工にも似た滑らかな海原が、寝息のように穏やかな潮騒と海の香りを、切り立った崖の上まで運んできた。
「はーあ…。」
その切り立った崖の高さに全く頓着せず、淵に腰掛けて足をぶらぶらさせているのは、どうやら普通の人間ではないらしかった。髪の色も、着ている服も、この島の住人のそれとはだいぶ違う。少し釣りあがった目は子供らしく大きくて、瞳は朝焼けの金を称えて輝いている。年のころは14,5歳といった小柄な少年の赤銅色の髪が、日の光に炎のように照らし出されていた。その彼は、この素晴らしい平和なひと時を満喫すべく深呼吸した。いや、その顔には平和を満喫するというよりも、この平和を目に焼き付けておこうとでも言うような幽かな真剣みが宿っているようにも見える。
「ん?」
ふと、見やった眼下に、何かが見えた。蒼い海には似つかわしくない、ショッキングピンクの…人影だ。
「んん!?」
しかも…うつ伏せになって浮かんでいる。身動きはしていない…波に揺られるまま…まるで…
「ウソだろぉ、おい…!」
迷わず崖の淵からふわりと身を躍らせる。風を孕んだ彼の服が、ばたばたと音を立てる。彼が呼んだ風が、波の上からカジマヤを持ち上げて、着水する時の衝撃を和らげ、海には小さなしぶきと波紋が広がっただけだった。それでも水面から人一人分ほど深く沈んだというのに、カジマヤは少しも目をつぶらなかった。冷静な彼の兄なら、溺れた人間など放っておけと言うのかもしれない。でも、そんな兄にはない要素を代わりに全部引き受けたのがカジマヤだ。多分、兄は母親の胎内にあった“冷静”とか“思慮深い”とかそういう要素を全部かき集めてから出て行ったのだ。残り物(“考えなし”とか“落ち着きがない”とか)を貰ったカジマヤには兄の考え付きそうなことなど、ちらりとも思いつかなかった。
「ぷはっ!」
濡れた頭をふるふると振って、見失いかけた人影を探す。
「居た!」
その人影は、くらげさながら波にもまれて崖の近くをさ迷っていた。くらげは溺れないけど…そのかわいそうな人間はどう見ても気を失っているか、さもなくば…
「おいっ!」
彼のところから2メートルと離れていない。カジマヤは急いでそのドザエモンだかドザエモン未遂の人間の元へ泳いだ。