飃の啼く…第23章-3
「ふ…あの襤褸人形に教わることなどありはしない…むしろ、お前だ」
薄ら笑いを浮かべた顔。でも、楽しいから笑っているのではない…その薄ら笑いが私を不快にさせるからそういう表情を作っているだけ。そうでなければあまりに残忍で、あまりに冷たい。こんな笑顔が私の記憶に残ってしまうのかと思うと、ゾッとした。
「私が…澱みに教えてやることなんかない」
「そうかな?」
そういうと、目の前の澱みの笑顔が広がった。まるで、腹に突き刺したナイフをえぐるようにぎこちなく、そして不気味に…。神経が痺れるような悪寒が走ったけれど、私は身動きしなかった。
「そうかな?八条さくら」
いや、身動きが出来なかった。
瞬きする間に、澱みは私達の間にあった3歩の間を詰めた。
「―っ!!」
私が、七星を持った手をようやく胸のところまで上げたところだった。そいつは、まるで七星が錆びきった鈍(なまく)らであるかのように何気なく手で掴み、私に覆いかぶさってきた。私に届くように、耳の中に投げ入れた。その言葉を。
「―――。」
その時、何かを引き裂くような、それで居てガラスが割れたのだとしっかりわかるけたたましい音がした。まるで何かが爆発したみたいな音だ。この音を予期していなかったのは私も澱みも同じだったけど、澱みは、音のした方向を悠然と振り返り、また私を見下ろしてから霧となって消えた。一瞬の何分の一か後、霧がまだ消え去らずにわだかまっている空間をめがけ、雨垂が飛んできた。雨垂が矢のように酒のビンや紙パックの棚に刺さると、様々な種類の容器が派手に破裂して、あたりはアルコールの匂いで一杯になった。
「さくら!」
何故か獣の鳴き声を連想させる、エンジン音。それが遠くのほうで収まった。
「飃…!」
私は、飃に抱きしめられて初めて、今の今まで私が身動き一つしていなかったことに気付いた。
「飃!今澱みが…」
飃の後ろから、二人の人影が近づいてきた。フルフェイスのヘルメットをかぶっていて、顔は見えないけれど、片方はイナサさんだとすぐにわかった。
「今、青嵐がこの国中の狗族を集めています…それと、戦う意思ある全てのものたちを」
「…始まった、って感じだよな」
見慣れない男の人がそう言って、ヘルメットを取った。狗族の特徴である、獣の耳はついていない。妖怪の纏う、独特な雰囲気もない。驚いたことに、彼は人間だ。
「ちっこくて可愛い娘だな、高二だっけ?」
そんなに小さいつもり無いんだけどな…多分、小ささを強調しているのは私の頭に乗っている飃の手かも。
「えと、あの、今はもう高三です…」
へえ、と、彼は興味深そうに私を見た。
「お前が名乗らないから、さくら殿が困惑しているだろ!」
腰に手を当てたイナサさんに足で小突かれて、ようやくその人は
「たはー、悪い悪い…自分の名前言うの、恥ずかしいからさ…俺、大和大和…“やまと”でいいから」
と言って笑った。