The kiss and the light-33
ラベルには走り書きで「メアリ・アン・ニコルズ」とある。全ての瓶にぞんざいに書かれた名前は、飆の資料にあったものがほとんどだった。「アニー・チャップマン」、「エリザベス・ストライド」、「キャサリン・エドウズ」…しかし、中には始めて聞くものもある。男の名前で、日本人のものも沢山あった。そして、「菊池美桜」の文字。
飆は彼女が苦しんだことを知っているだろうか。知っているだろう。だから、彼も検死の結果を見はしなかったのだ。頭部からつま先…性器まで、ぼろぼろだった。
我知らず噛み締めていた唇から、とつ、と血が垂れる。
机の上には本があった。辞書ほどの厚さと、百科辞典ほどの厚さのある本だ。その、縫い後だらけの歪な表紙が革の装丁なのか、皮の装丁なのかは考える余地もなかった。最初のページを開くと、その本は日記だった。几帳面な小さく、細い字でびっしりと書き込まれたそれは英語で書かれており、癖のある筆記体であったため中谷にはほとんど理解できなかった。ただ、端々に挿入される図やグラフがなにを表わすのか、何を求めるためのものなのかはページをめくる度に明らかになっていった。
臓器、歯車、魔方陣、象徴、その全てをつなぎ合わせて何かをなそうとしている。しかも悪いことに、その研究は既に実を結んでいるらしかった。間に挟まれた紙には、調達する材料のメモと思しきものが、書かれている。中谷はかろうじて「Bodies……7」だけを読み取った。七つの身体。鳥肌が立った。身体ではない…こいつが求めているのは死体だ。こいつはフランケンシュタイン博士と同じことをしようとしているのだ。
最後のページを見る。余白と文字の羅列との境目に、唐突に日本語が飛び込んできた。
―5月24日 君は 何処から 切って欲しい?
中谷が振り返ったとき、ピエロが彼女を見つめていた。彼女が倒れる時も、意識を失う直前も、ピエロは彼女のことを見つめていた。
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「ようこそ!」
飆が、この芝居がかった声色を聞くのは、4年ぶりになる。しかし、4年前の記憶は薄れても、変質してもいなかった。目の前にいる男の姿が、数百年を経ても変化することが無かったように。
その部屋には、ずっとずっと追い求めた匂いが濃縮されていた。
彼は開け放った窓から吹き込む夜風を背に、表情の一つも変えず、宿敵を見た。
「君は、年を追う毎に父上に似てくるな」
「そうか」
風は冷たく、アルコールランプの光を脅かして、開いたままの本のページを乱暴にめくって過ぎる。部屋の明かりが危うげに落ちるたびに、飆の瞳の奥の金が燃え立った。
飆は冷静だった。4年前には、男の顔を覆う道化た化粧が見えたのが、今ははっきりとその奥が見える。醜くゆがんだ、あらゆる物に宿って彼の肩を叩く、死を拒み続けた男の顔だ。
「お前は、前よりも、ずっと醜い」
男は表情を変えなかった。薄ら笑いは顔に貼り付けられた仮面のように微動だにしない。