The kiss and the light-10
「つきのよるは―」
「放せ!!」
もう泣き声に近い声をようやく振り絞って、彼女は化け物の体に買い物袋をたたきつけた。ぼきっと言う音はキュウリが折れた音か…抵抗を予想していなかったらしいその化け物は地面に腰を打って倒れた。その隙に中谷は走った。飆の名を心の中で呼びながら。
その時―
一匹の黒い犬が…風を捲いて彼女の横を通り過ぎた。思わず振り返った彼女が見たのは、その美しい黒の毛並みに、月灯りを背負った大きな獣。ヤギはその姿を見るなり悲鳴をあげたが、団地の谷間にこだまする前に黒い犬に喉笛を噛み千切られて、幻のように消えた。中谷は、堪えきれずにその場にうずくまった。地面が彼女を中心に回りだして、そのままもといた世界から放り出そうとしているように思えた。もっとも、今目にしたものは彼女のこれまで生きてきた世界には存在しないものだったのだから、すでに彼女は放り出された後かもしれない。
黒い犬は振り返って、中谷を見た。犬よりも顔立ちは険しい。狼に近いと、中谷は思った。ハスキー犬?それも、真っ黒の。その犬はゆっくりと近づいてきた。中谷は、何故か安心して“彼”に手を差し伸べた。よく見ると、毛並みは真っ黒というわけではなく…なんといえばいいのか、もっと美しい、鉄(くろがね)という言葉を連想させた。彼女の手を愛おしむ様に、彼は顔をこすり付けて中谷の肩の上に顔を休めた。とても大きい犬で、座ったときは軽く中谷を越すほどだ。犬は少し後ずさり、改めて彼女をみた。
その瞳で。
「飆?」
犬は口をあけて、犬が笑顔と呼ぶのかもしれないものを作った。そして、彼女の顔をぺろりと嘗めると、其のまま中谷を先導するように歩き出した。
犬=飆の飼い犬説が今のところ彼女の中では最も有力だった。しかし、犬が飆のマンションの玄関に堂々と入り、オートロックの番号を押し、難なくエレベーターに乗り込んだところで、その説の説得力がようやくぐらついてきた。
部屋に戻ると、リビングの中央に脱ぎ捨てられた服があり、カーテンが全開になって、そこから月が見えるようになっていた。何だかどっと疲れが出て、中谷は靴を脱ぐなりイスに座り込んだ。飆は風呂にでも入っているのか…とにかく疲れて、まともにものを考える余裕すらなかった。その間にも、犬はせっせとカーテンを引いている。光が漏れないように念入りに両側のカーテンを引き寄せたあと、ものすごいうめき声が聞こえた。
「何!?」
中谷はあわてて立ち上がり、うずくまる犬の元へ駆け寄った。
筋肉が組みかえられるような、ぎしぎしという音、耐え難い激痛を察することが出来た。真っ直ぐだった背中が柔軟性を得て丸くなり、床を引っかいていた爪が徐々に短くなり、代わりに指が伸びる。長い尾が背骨に吸い込まれるように消えてゆくと同時に、体中を覆っていた黒い毛も薄くなっていった。
「ああ、嘘でしょ…」