「続・嘆息の時」-7
「おじちゃ〜ん!」
疲れを見せず、あいかわらず元気に手を振ってくる有理に笑顔で手を振り返す柳原。
有理の笑顔はもちろん、涼子のときおり見せてくる妖艶な女の表情が、柳原にしばしば勘違いを起こさせている。それが、『先走る心』の原因のひとつになっていた事は間違いなかった。
楽しい一時はあっという間に過ぎるもの。
ランチを終えてからも元気はつらつだった有理は、いま柳原の背中でスヤスヤと寝息をたてている。
全力で遊びきった小さな身体は、広い背中の感触にすっかり安堵して気持ちよさそうに伸びていた。
「今日は本当にありがとうございました。有理のあんなに楽しそうな顔、ずいぶんと久しぶりに見た気がします」
感謝の気持ちを込めて、涼子が深々と頭を下げる。
「と、とんでもない、僕のほうがお礼を言いたいくらいですよ。こんなに楽しかったのは何十年ぶりですから」
柳原はすぐに顔を慌しく左右に振りながら言い返した。
「そう言ってもらえると私も嬉しいです。でも、私ってすぐ調子に乗っちゃいますから、そんなこと言われるとまたすぐにお誘いするかもしれませんよ?」
後部座席のドアを開けながら、涼子は微笑を浮かべた。
「ど、どんどん調子に乗っちゃってください! ぼ、僕はいつでも暇ですから。はい。な、なんなら、今度は二人で飲みにでも行きますか? はっ、はははっ」
さり気ない誘い文句に、涼子の美貌が微かに色づいていく。珍しいこともあることで、奥手の柳原にしては稀に見る上出来のセリフだった。
「そんなこと言うと……今度は母親ではなく、ひとりの女としてお相手しますよ?」
悪戯っぽく言い、涼子が熟睡している我が子をチャイルドシートへ乗せていく。しかし、覗き込んだ美貌の肌には、さらにほんのりとした赤みが差していた。
「あ、あの、以前お渡しした名刺に僕の携帯番号も載ってますんで、都合が良いときにでもお電話ください。ぼ、僕のほうは本当にいつでも暇してますんで」
柳原の言葉を聞きながら後部座席のドアを静かに閉める涼子。
涼子は、柳原のほうにすぐに振り返り、潤いに満ちた眼をジッと向けた。
「あ、あははっ……あの……気が向いたらって事で」
照れを誤魔化すかのように言葉を付け足す柳原。
せっかくの凛々しい顔が、だらしなく緩んで紅潮していることに本人はまったく気付いていない。涼子は柳原のウブな一面にクスッと小さく笑ってからスーッと顔を寄せた。
「んっ!?」
不意に間近に迫ってきた涼子の美貌。
ほんの一瞬だった。
チュッと軽く触れてきた柔らかい唇。
唖然としている柳原を残し、涼子は慌てたように車へと乗り込んだ。
すぐにエンジンをかけ、運転席の窓を開けてから顔を出し、
「近いうちに……かならずお電話しますね。今日は本当にありがとうございました」
そう言い、少しはにかんだ笑顔を見せてから車を発進させていった。
去っていく車を見つめながら、ポカーンとした顔で立ち尽くす柳原。
ふと我に返り、首を何度か振ってから煙草を咥えた。
自分の車に乗り込み、涼子がこれまでに見せてきた妖艶な表情と、先ほどのキスを重ねてみる。