「続・嘆息の時」-15
二日後、柳原は店長室にこもって虚ろな眼でメールを眺めていた。
まったく連絡が取れずにいた涼子から、ようやく送られてきたメール。
『このあいだは何の連絡もせずにお約束を破ってしまい、本当に申し訳ありませんでした。実はあの日、別れた夫が突然家にやってきて……縒りを戻したいと言うので話し合いをしておりました。柳原さん、本当に申し訳ありません。私、夫ともう一度やり直そうかと思っています。有理のことを思えば、それが一番いいように思います。なにより、私の中にまだ夫への未練が残っていたことに気付いてしまいました。本当に情けない女です。柳原さんには色々とお世話になりっぱなしで何とお礼を言っていいか……。私、柳原さんのことがすごく好きでした。会うたびに惹かれていく気持ちが強くなり、女として、この人と付き合えたらいいな……と、真剣に願っていました。でもやはり私は母親なんだと、有理の寝顔を見るたびに思い返され、今回の決断に至ったわけです。柳原さん、本当にありがとうございました。一緒に過ごした時間は短かったけれど、とても楽しかったです』
柳原は、ボーッと天井を見つめた。
心は無に近かった。
どれくらいそうしていただろうか……。
「店長、失礼します!」
「うわっ!」
不意にいきなり扉を開けてきた滝川愛璃に、柳原は驚いて思いっきりタイヤ付の回転イスから転げ落ちた。
「て、店長、大丈夫ですか!?」
「あたたっ……は、ははっ、大丈夫だよ」
しこたま背中を打ち、苦笑いしながら起き上がる柳原。
「店長って、私が声をかけるといつも椅子から落ちますね」
愛璃は笑いながら言った。
見上げた柳原の顔が、その上品な優しさに満ちている笑顔にフッと綻んでいく。
愛璃を前に、真っ白だった心のキャンパスがピンク色の絵の具で柔らかく塗られていくような感じがした。
「っで、どうしたの?」
柳原が聞くと、愛璃は少し照れたように言ってきた。
「明日、店長の誕生日でしょ?」
「んっ……? あっ、そうだった。ていうか、よく知ってたね?」
「えへへ、それでね、いつも特訓していただいてるお礼に、明日お店が終わってからご飯でもご馳走してあげたいな〜って思ってるんですけど……ご予定はどうでしょう?」
はにかんだ愛璃に、おもわず胸を昂ぶらせる柳原。
普段は、二十歳にして大人の色気をたっぷりと醸し出している愛璃だが、はにかんだ時の表情はなんとも幼い少女のような可愛らしさがある。
これにいつも胸をキュンキュンさせられるのだ。
「そ、それは嬉しいけど……他には誰が来るの?」
どうせ沢木もセットなんだろうと、投げやりになりそうな口調をなんとか抑えて柳原は聞いた。
「えっと、店長と二人だけで行こうと思ってたんですけど……誰か他にも呼んだほうがいいですか?」
「えっ、二人! 俺と滝川くんだけ!?」
柳原は、意外な言葉にあからさまな表情で驚いた。
てっきり沢木もくっついてくるとばかり思っていただけに、感情が激しく動揺していく。
「やっぱり……二人っていうのは良くないですかね? 私、他の人にも声を掛けてみます」
「あっ、いや、あの……お、俺はかまわないよ。うん。二人で行こう。でもさ、一応みんなには内緒にしとこ。ねっ」
「はい。分かりました。やった〜! じゃあ、仕事に戻りますね」
「あ、ああ、宜しく〜!」
白シャツのユニフォームを優美に着こなしている愛璃。その後姿をジッと見つめ、柳原はしばらく放心状態に陥ってしまった。