多分、救いのない話。-6--2
「神栖さん!!」
夜八時を過ぎた学校で『娘が帰ってこないんです』という電話を取ったのは、たまたまだが水瀬だった。中学生が夜八時を過ぎても自宅に帰らない。人によってはちょっと遊んでいるだけだろう、すぐ帰ってくるなんて思うのかもしれないが、この母娘に限り、その考えはどうしようもない、甘過ぎる間違いだ。
「あら、奈津美さん」
来てくれたの、とやってきた水瀬に彼女はいつも通りに応対した。それはあまりにいつも通り過ぎて、まるで先程の電話はただの悪戯なのではないかと思わせるほど。けれども、やはり違和感はある。いつもの彼女ではない。いつもの通りではないのにいつものように振る舞う彼女は、まるで残酷な御伽話の住人のように、何処か空虚だ。
「……あの、メグちゃんは?」
「…………」
水瀬の問いには答えず、ただ上がってと招き入れる。リビングに上がったのは初めてだったが、インテリアは白を基調としてシンプルに統一された、清潔感のある様子は好感を持てる。しかし、そんなリビングには不釣り合いに感じるものがあった。
「……お酒、飲んでるんですか?」
硝子のテーブルに、ウイスキーのボトルが二本、無造作に倒されている。一本は空で、もう一本は三分の一ほど消費されていた。
「飲んでるわよ……でも不思議ね。全然酔わないの」
自嘲のように、或いは韜晦のように嗤いながら、煙草に火をつける。水瀬の知らない彼女がそこにいた。水瀬の知っている彼女は酒に逃げたりするような、そんな簡単な人間ではない。
「……神栖さんって、煙草吸うのね」
何から言っていいのか全くわからない中、結局全く関係ないことを口は勝手に言っていた。
彼女は特に何も答えないまま、ただソファに座るよう促した。
対面に座り、彼女と相対する形になる。彼女は何も言わない。だから水瀬から口火を切ることにした。余計な装飾を望む彼女じゃないから、簡潔に。
「警察には?」
紫煙が空気を歪ませる。
「まだ届けてないわ」
「探しには?」
「火口が……、部下が探しに行ってる」
「……貴女は?」
「待ってる」
煙草の火を揉み消し、おそらくは全く薄められていないウイスキーを喉に流し込む。
「…………」
何を、待っているのか。慈愛がこの家に帰ってくること? だが、理由もわからないのに、ただ待つなど愚策にも程が――
「理由なら想像つくわ」
心臓が、跳ねた。こんな時でも彼女は、他人の心を容易に読む。
「理由って……?」
「…………」
じっ、と。空虚な癖に顔を逸らすことを許さない視線が水瀬の心に注がれる。だが不思議と不快ではないのは、彼女が真剣だからなのか。しかし“何”に真剣なのかまでは、空虚さ故にわからない。不快ではないが、不可解だった。
「……あの、神栖さん?」
「……あ、」
視線が外された。
「ごめんなさい」
「…………」
やはり、いつもの彼女とは違う。それだけ、今の事態は異常なのだ。
「ねえ、何で警察に届けないの?」
「それは……」
多分見た方が早いと、立ち上がる。
立ち上がり、リビングを出て向かった先は、慈愛の私室。歩きながら、水瀬は悩んでいた。
自分はこの事態にどういうスタンスをとればいいのだろうか、と。教師としてか、友人としてか、それとも――…
結論は出ない。出る筈もなかった。