MemoryU-1
あの夜から2月が過ぎようとしている、ある秋の夕暮れ。
幹の根本で、落ち葉をかき集めている楓を見る。ただ顔色一つ変えず、ひたすら落ち葉をかき集める彼女は、もうただの人形のようだった。彼女の行動はもう"意味"さえもたないのだ。
楓はすでに、完全に記憶をなくし、さらに言葉も失っていた。また感受性も鈍り、嬉しいだとか悲しいだとかいう、心の感覚さえ今の楓にはほとんど残っていない。
『来週の頭には、楓を病院に入れようと思っています。』
ふと、楓母の言葉が俺の脳裏をよぎる。もうここ、楓の邸宅にいられる時間もあとわずかになったのだ。
俺の心と同調するかのように、秋風が寂しい声をあげ、落ち葉を舞いあげた。そして、それを再び楓が集める。ずいぶんと前から、この繰り返しだった。
『楓…。』
俺は彼女の隣にしゃがみこむ。頭を撫でてやるが、彼女はそんな俺に目もくれずに、ひたすら落ち葉をかき集ている。もう楓にとって、俺は何の意味も持たない、ただの動く物体に過ぎないのだ。
『お絵描き…しようか。』
俺はまるで赤ちゃんに話しかけるような口調で言って、スケッチブックを楓に手渡す。彼女はそれを素直に受け取った。次にセットになった色鉛筆のケースを差し出すと、楓はピンク色の鉛筆を取り出し、遠くに投げようとした。俺は慌てて彼女の手を押さえ込み、彼女の手の甲に自分の手を重ね、スケッチブックの上を滑らす。ピンク色の芯が紙の表面にこすられ、線となった。
『な?こうするんだ』
手を重ねたまま、何度もそれを繰り返すと、楓も慣れてきたのか、一人で鉛筆を紙に滑らせる。しかし10秒も経たないうちに飽きてしまったようで、彼女は色鉛筆と紙をポイッと遠くへ投げた。
『おいおい…。』
俺は落とされたそれらを拾い上げる。紙を見た瞬間わずかな笑いが込み上げる。
『ぶっは!これお前に初めて会った時以上に下手くそじゃ…』
俺は言葉を飲み込む。楓は相変わらず顔色一つ変えずに、落ち葉を集め続けていた。暖かくなり始めた俺の心は一瞬にして温度を失う。
…何してんだろ俺。バカにしてみたって、もう何にも反応してくれないのに…。
無機質な彼女の横顔をじっと見つめた。
なあ、お願いだから前みたいに頬を膨らまして怒って…
抜け殻になった彼女の表情は、ロボットのように温度がない。俺は泣き出しそうになった。
胸の痛みに耐えきれなくなった俺は、背後から楓を抱きしめて囁く。
『またくるから…。』
俺の腕から解放された彼女は、俺に一瞥もくれず、再び落ち葉をかき集め始めた。