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Memory
【純愛 恋愛小説】

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Memory-1

『ピピピピピピ…。』喧騒と鳴り響く目覚まし時計を、無造作に消す。日はすでに遥か高くに登っていて、窓の外では春の陽気がそこら中に飛び散っていた。そのガラス越しの世界とは打って変わって、のそのそと起き上がった俺は、冬眠から目を覚ました…というよりも、今から冬眠に突入してしまいそうな勢いだ。かすかにふらついた足取りで、俺は階段を降りリビングへと向かう。ダイニングテーブルの上には、ラップのかかった皿がのっていた。ふと皿の隣の、置き手紙が目に入る。
『お母さんはパートにいってきます。美香は舞子ちゃんの家に行っちゃっったので、悪いけど、涼介がお父さんにお弁当を届けて下さい。』
よく見ると、置き手紙の隣にストライプ模様の弁当風呂敷が置いてあった。
『まじかよ、タルイな…。』
俺は無意識につぶやいた。

弁当を親父に届けた帰り、市内ではちょっとばかり有名な桜の名所にさしかかった。ちょうど今が満開なようで、爛漫と咲き乱れる桜の下で、すでに何十もの家族が敷物を広げている。屋台の匂いに負け、たこ焼きを一つ買うと、人と桜の木を縫うように進みながら俺は座れるところを探した。
ふと、場違いな少女が、俺の目に入った。彼女は何かに取り憑かれたかのようにひたすら、真っ白いキャンパスに筆を滑らせている。まるで雑誌の切り抜きを後から貼り付けたように、お花見の陽気さの中で、彼女はただ猛然と絵を描いていた。
(画家志望とか?)俺はそっと後ろから、汗さえも滲んでいそうなキャンバスをのぞきこんだ。…
『下手くそっ!!』
思わず俺は叫んでしまった。―花びらの桜色の部分に、幹の茶色の絵の具が滲んでグチャグチャだ。そのキャンバスを抱えた彼女が、俺を振り返る。眉間にしわをよせ、怪訝そうに俺を見た。
『下手で悪かったね。』
彼女はそれだけ言うと、またそのキャンバスに視線を落としてしまった。
『ごめんさっきの嘘。これは抽象画なんだよね。うん、芸術だ。』
素知らぬ顔で逃げ出そうかとも思ったが、何となくその子に興味がわいた俺は、彼女の隣に腰を下ろした。
『これ写生画よ?』
『……。』
言い返す言葉がなかった。彼女はフンっと鼻を鳴らし、『桜』の色を作ろうとしているのか、パレットに絵の具をたす。が、なかなか思う色が作れないらしく、絵の具を足しては混ぜ、それを長々と繰り返していた。
『ちょっと借して。』
見るに耐えかねた俺は、彼女からパレットと筆を取り上げた。
『何すんのよ!』
彼女はすぐにでも取り返そうと、パレットにつかみかかる。…しかし、その力もすぐに弱まった。
『…凄いのね、あなた。』
パレットの上に乗せられた『色』と『桜』を見比べながら、彼女はつぶやいた。
『前に、よく描いていたんだよ。』
俺は彼女にほほえむ。
『画家になれば良かったのに。』
彼女は真剣な眼差しで言ったが、俺は首を横に振った。
『このくらいどこにでもいる。』
『でも諦めなかったら…』
『諦めなかったら?』
『ううん、なんでもないの。』
何を思い出したのか、彼女は言いかけた言葉を飲み込んでしまった。そのまま、しばらくの間沈黙が二人を包む。
『…ねえ、私に絵を教えてくれない?お礼はちゃんとするから。』
予想もしない彼女の言葉に、俺は心底驚いた。相手は会ったばかりの女、しかし暇をもてあましている俺に断る理由はない。久しぶりに絵を書いてみるのもいいなと思った。
『俺でいいのか?』
じっと彼女を見つめる。と、その時ひらひらと桜が舞い落ち、パレットの『桜色』の絵の具の上に重なった。
『だって』
彼女は視線をパレットに落とす。
『こんなに正確に色が出せる人なんてめったにいないわ。』
彼女はにっこりと笑う。俺もつられて笑ってしまった。
俺がパレットを覗きこむと、確かに絵の具の中から花びらを見つけるのは難しかった。


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