MemoryU-7
ベッドからズリ落ちて、俺は目を覚ました。いつの間にか眠っていたらしい。楓はまだ俺の隣で寝息をたてている。彼女の寝顔に、俺の顔から微笑みがこぼれ落ちる。
…彼女が目を覚ましたら一番に言おう。
世界一大好きだと。
これからもずっとずっと大切にしていきたいと。
彼女の笑顔を思い描きながら、俺は彼女が目を覚ますのを待った。いつまでもいつまでも。しかし、いくら待っても楓が目を覚ますことはなかった。
―それから3年後。今俺は都内の美大に通っている。高校を卒業したら就職する、と一点張りだった俺が美大への進学を決めたのは、自分の実力を決めつけずに、精一杯自己の可能性をぶつけてみたいと思ったからだった。
そして、俺が美大に通い始めた、最も大切な理由はもう一つ別にある。
花の匂いが俺の鼻をかすめた。わずかに黄ばみかかったプレートが目に入る。『705号室白石楓』
俺が扉を開けると、病室の窓から澄んだ風が吹き抜けた。その風で横たわった彼女の前髪が揺れる。
植物状態
世間一般ではこう呼ぶらしい。不思議なことに3年前のあの日、病院に運び込まれた楓は、脳検査の結果寄生虫の存在を確認できなかった。つまり、寄生虫が消えていたのだ。医者は"奇跡だ"と言っていた。
『楓…。』
俺が呼ぶと気のせいだろうか、彼女はわずかに微笑んだ。
ふと、壁にかかった額縁の絵が俺の目に入る。楓の告白のキッカケとなった絵であり、彼女の記憶を呼び戻してくれた、大切な絵だ。
"絵"
楓とは出会いも
告白も
奇跡も
全部全部そうだった。
"絵"…それは俺達にとって言葉以上に大切な意味を持つ。
そして、絵には不思議な力があると、俺は信じている。時には常識さえも覆してしまいそうな大きなな力が。
だから、俺が絵を描き続けていれば、いつか楓は目を覚ます…そんな気がしてくる。確信よりもいっそう強く。
ビュゥッ
俺と楓の間を再び風が吹き抜ける。窓の外には青空が広がっていた。
俺は鞄の中からスケッチブックを取り出し、楓の寝顔を描き始める。
彼女が目を覚ますのはもうすぐかもしれない……