笹沢瀬里奈の悩み 〜Love trouble〜-13
『それじゃあ、頑張れ。あ……それとしばらくは、電話かけるなよ』
「ああ。サンキュ」
電話を切ると、ベッドに腰掛けた秋葉はため息をついた。
餅は餅屋という事で自分よりたくさんの知識を持っているし体験しているであろう龍之介へ緊急の電話をかけた訳だが、よく考えずともあちらはこれからお楽しみの時間を過ごすはずだったのだろう。
「……悪い事したな」
龍之介のアドバイスのおかげで何とか半分パニック状態から抜け出した秋葉は、そう呟いた。
そして、ふと水音の響く浴室の方へ目を向ける。
――あの後輝里の取った行動は、秋葉にとって意外な物だった。
『……ちょっと待ってて下さい』
そう言い置いて自宅の中まで行き、身軽な格好に着替えてから戻って来たのである。
そして一言、『行きましょう』と……。
どこに行こうと輝里は言わなかったし、秋葉も聞きはしなかった。
そういうホテルが軒を連ねる通りへ足を進めた二人は、運良く空き部屋を見付けてそこに入り込んだのである。
そして入り込んでから、秋葉は半分パニック状態に陥った。
初めて出来た彼女と最初に来た場所がそういうホテルとは、我ながらいったいどういう事か。
秋葉は半分パニックを起こしながらも輝里をお風呂に入らせ、助けを求めて龍之介に電話をかけたという訳である。
「……はふ」
秋葉は再びため息をつき、浴室のドアを見た。
相変わらず、中からは水音が聞こえる。
「……」
輝里はこんな場所に連れ込んでも嫌がらず、おとなしくシャワーを浴びているのだ。
「……経験、あるのかなー……」
ぽつりと、秋葉は呟く。
中高とバスケットボール一筋に打ち込んで来た秋葉にとって色恋沙汰は少し遠い世界の出来事だった。
実らなかった初恋のせいなのか、自分から遠ざけていた節もある。
輝里を好きになった理由だって、他のマネージャーより打ち込んでいる姿勢が『いいな』と思えたからだった。
「うあああぁ……!」
しかしその輝里と恋人同士になった数十分後には、こうしてホテルに連れ込んでいる。
「俺ってもしかして、とんでもなく手が早い?」
思い悩む秋葉だったが、また浴室のドアを見た。
輝里は、まだ上がって来ない。
いくら何でも、これは遅過ぎる。
秋葉は立ち上がり、浴室のドア前まで歩いていった。
「あー……輝里?」
拳でドアを叩き、秋葉は輝里を呼ばわる。
『あ……』
ドア一枚を隔てて、籠った声が聞こえた。
「の……のぼせてないよな?」
いやらしさを感じさせないようなるべく明るくカラッと爽やかに言ったつもりだったが、場所柄のせいか妙に艶っぽい質問に聞こえる。
『だ……大丈夫』
「そっか……ならいい」
秋葉はため息をつき、踵を返した。
緊張し過ぎて股間は全く反応しておらず、すいすいと歩ける。
ベッドまで戻ると、秋葉はぶんぶか頭を振った。
「どぉしよお……」
お風呂場の床にへたり込み、輝里は呟く。
服を脱いで裸だし浴槽の中に向かってシャワーを適当に流してはいるが、浴びてはいない。
秋葉と両想いになったという喜びで有頂天になり、夢見心地でいたらいつの間にかここでシャワーを浴びている自分がいた。
美弥の台詞に焚き付けられたと言えなくもないが、次々と思い出す自分の行動は大胆過ぎて、驚くばかりである。
「経験済みとか思われてるかなぁ……」
このままいってしまったなら秋葉の前で体を曝す事が、恥ずかしくて身悶えしたい程だった。
トントン
再びドアがノックされたため、輝里は跳び上がる。
『あ〜………………あのさぁ輝里』
遠慮がちな秋葉の声が、用件を告げた。
『その……自分でも訳分かんないうちにこんな場所連れて来たけど……する気、ないから。だから、その……のぼせないうちに、出てこいよ』
こんな場所まで連れ込んでおきながら抱く気はないと言い出す秋葉の不可解な態度に、輝里は妙な顔をする。
とりあえず流しっ放しのシャワーを止め、服を着込んで浴室を出た。
「秋葉……」
呼び掛けると、ベッドに腰掛けていた秋葉がこちらを向く。
「あ……上がったか」
秋葉は少し躊躇ってから、傍らを手で叩いた。
輝里は頷き、叩かれた場所へ腰掛ける。
「……あ〜、その……俺、自分でも訳分かんないうちにこんな場所にお前を連れ込んじまったんだ」
肩をすくめ、秋葉は弁解を始めた。
「古いとか思われるかも知れないけど……いきなりそういう関係になるのって、俺は何か変だと思う……だから、何もしない。そ、そういう理由だから手を出さないんであって、輝里に魅力がないとかいう話じゃないからな!いいな?」
真っ赤な顔をしている秋葉の気遣いに、輝里は嬉しくなる。
そして、この人になら体を……初めてを、あげてもいいと思った。
「秋葉。私……ちゃんと、シャワー浴びて来るから。だから、その……初めてを、貰って欲しいな」