Not melody from you
:Side-heavy-1
ハイブリッドノイズ
「殺してよ」
「嫌だ」
「じゃあいい、一人で勝手に死ぬから」
「それも絶対にさせない」
言い出すのは彼女で、止めるのはぼく。
もう一カ月前からその役割はぼくらに割り振られ、そして定着している。
「…ハァ…」
彼女はさして深い感慨もない諦めたような、悟りきったような浅いため息をつくと、パッケージからタバコを取り出して、火をつけた。
美しい金色の鳩に、皮肉にも平和と名付けられたその銘柄は金のピース。
ぼくのマルボロよりずっときついタバコを、タバコ嫌いだったはずの彼女は何のためらいもなく吸うようになってしまった。
タバコから立ち上る煙を彼女の吐き出した煙がかき消す。
その煙のように、彼女の中の彼女を司る大切な何かも、かき消えてしまったのかもしれない。
彼女の母親が、死んだ時に。
三カ月前、彼女の母親が死んだ。
全ては彼女から聞いた話だが、彼女の母親は夫と死別してから女手一つで彼女を育て、幾つものパートを掛け持ちして彼女を大学まで行かせた、とても尊敬できる、立派な人だったらしい。
また、彼女もそれに応え、母親の負担が少しでも減るように県で何人かにしか与えられないという倍率の高い奨学金をとっていた。
お互いの苦労はぼくにはきっと想像もつかない程、辛いものだっただろう。
だかそれを乗り越えさせる程に彼女の母親と彼女の絆は深かった。
彼女は自分を必死に育てようとする母親を心から尊敬し、愛していたし、母親も娘を可愛がり、そしてまたそれ以上に愛していた。
老後は絶対楽をさせる、海外旅行に、温泉に、おいしい物を沢山食べさせてあげるんだ。
ぼくに母親の話をする彼女は、最後にいつも口癖のようにそう付け加えた。
それでも彼女の母親は死んだ。胃ガンだった。
検査を受けてガンが発見された時には、まだどうにか対処ができる程度のものだったらしい。
医者はもちろん手術をすすめた。
しかし彼女の母親はそれを断った。
手術にかかる高額な費用を払えば、彼女を大学にいかせ続けるお金は手元に残らない。
彼女の母親は自分の娘の将来と自分の命を天秤にかけ、娘を選んだ。
ガンの事は娘に告げず、日々蝕まれる自らの体を娘に悟られないようにしながら、苦痛をごまかして働き続けた。
だがそんな無理が長く続くはずもなく、ある日突然倒れて救急車で運ばれ、搬送先の病院で痛みに叫び、暴れ、苦しみ、苦しみ、苦しみながら死んでしまった。
安らかな最後という言葉は対極にあった、そう言える程に、死に顔は無残で見るに耐え難いものになった。
悲しみと混乱冷めやらぬまま追い討ちのように、彼女は母親が自分の為にガンを治療しなかった事を初めて医師から告げられた。
それが三ヶ月前。
その後のたった三ヶ月間で彼女は棒のようにやせ細り、きついタバコを吸うようになり、そして笑わなくなった、表情事態が無くなった。
それでも、彼女の瞳だけはみるみる映すモノが変わっていった。
母親の死から一週間経って寂しさが映り、三週間経って孤独が映り、四週間経って絶望が映り、五週間経って諦観が映り、二カ月経って遂には自らの死が映るようになった。
まだ何もしてなかったのにね。そう言って彼女は諦めたような微笑を浮かべた。
母親の身を滅ぼした自らの生に、彼女は耐える事ができなかった。
彼女が「殺して」と魂の抜けたような声でぼくに頼むようになってから1ヶ月。
その悲しい哀願にどんな言葉を返せばいいのかずっと考えていたけれど、答えは未だに出てこない。