逆さ海岸-2
「証拠はあるの?」
何たる矛盾。判っている、身勝手だが、信じる為には証拠が欲しい。ルカが持っているお金は、赤い斑が散っている。破り捨てた絵が死んだ証だろうか。何度、絵を捨てただろう。もう一枚、描こうか。スケッチブックは少年の少し後ろで何の音も立てない。
ルカは更に紙幣を強く握り締める。無意味な動作だ。人は交換条件で成り立つもので。それでいいものだと思えれば楽なのに。いつから、道徳等学んでインプットしてしまったのか。お前の望みは何だ。判っているのだ。きっと望みがあるのだろう。欲望に塗れて仕方なしに、それを握り締めてここまで来たのだろう。 リスクは少なからず、どんな何にも負荷として圧し掛かる。
ふと、ルカが気付いたように天を仰ぐ。少年も倣って空を見る。遠くから、花が降って来る。ゆっくり、ゆっくり。向日葵の花弁か。黄色だけ、この夢で絢爛たる固体。少年が生まれた夏を象徴しているのか。もう時期死ぬのか。生まれて最初に好きになった花が向日葵だった。少年は笑ってみる。小鳥の真似をしながら 、踊る。すっかり短くなった煙草が今度は砂に灰となって落ちる。煙が目に染みて生理的な涙を流しても、涙は透明。色は何処に居るのか。濁りは、何処。泣きながら馬鹿になる少年を、ルカはじっと眺める。漸く二人のもとにやってきた花弁が、互いの肩を滑ろうというときに凪いでいた風に流されて、水面へ斜めに滑って流され てしまった。あんなに沢山降って来るように見えた花弁は、たったの2枚。人数分しか用意されていない、色。人数分なのに与えられない。人数分だろうが、何だろうが、得るも避けるも、自分次第。どこかで恐怖するならば、得ることも無い。社会の夢、社会で生きるならば夢も社会。
少年は小鳥の真似を止めて、ルカを真っ直ぐ睨みつける。
「返した所で、二度と誰も信用するものか。」
荒れる声。否、静かな海こそ、荒れるべきだろうが、声よりも別の何かが荒れている。以前お金の為に汚した唇は愈々青く、荒れる余裕も無く。指先はピアノを弾き鳴らした分だけ爪の長さも不揃い。皮膚は引っ掻き傷やら刃物で裂かれて、幾つも笑っている様だ。
少年は再び、小鳥を真似て踊り始める。空から短い煙草が一気に降って来て、少年を泣かした。先端の火が髪を焦がし、肌を掠り、少年は痛みを感じて嬉しいのに、ルカはびくともしない。煙草の雨は、海水に溶けて消えてなくなっていく。全て飲み込んでいく。洗われる火傷。痕はしっかり残っているのに、ルカの肌 も真っ赤になっているのに、涙すら飲み込んだ海水は、何食わぬ顔でまた静かになった。静寂。ルカとの距離が、静寂のせいで鮮明になる。
ルカが一歩踏み出す。また一歩。また一歩。何歩だろう。小鳥を真似て何度か周っていた少年は、数え足りない歩数が気になった。近づいてきたルカは少年の踊りを止めさせるかのように、血に穢れた紙幣を砂の上に落として、少年を抱きしめた。砂塵が、輪を描いて紙幣を飲み込む。
忽然、世界は逆流する。
空に吸い込まれるように、砂は天に上り、地面だと想っていた砂の下から灰色の空が現れる。青い水彩絵の具が滲んでいるようなその空が逆さになって。風神も、雷神もきっと、この時に死んだ。
スケッチブックは破れること無かったが、砂になった空に消えた。
逆さの侭の少年はまた独り、今もテトラポットの上で、どこからとも無く現れたスケッチブックに後ろ姿を描き破き続けて、何かを待っている。逆さの基準を知る事もなく。