かつて純子かく語りき-2
テーブルにマグカップがふたつ置かれた。湯気に乗って、カモミールティーの香りがふわりと広がる。口には出さないけど、なんとなく、ここはマジメ君の部屋なのだろうと思った。
アイツの眼鏡の奥をのぞき込む。本当にすまなさそうな顔だ。フム。…許してやるか。
「いや、こちらこそ失神などしてすまなかった。さぞメーワクをかけただろう。」
身体を起こして、詫びを入れた。
「ふぅ…。」
カモミールティーがお腹に浸み渡る。ああ、シアワセ。
「…ふふ。」
横でアイツがくすくす笑った。私は飲みかけのカップをテーブルに置き、布団から這い出て、隣に座った。
「ナンだ?」
「村井さんって、食べたり飲んだりする時、本当に幸せそうな顔するんですよね。」
なんだか馬鹿にされてるような気がして、返事をしなかった。
「ずっと…、見てたんですよ?」
え?思わずタキタと顔を見合わせた。
「学食で親子丼食べているところとか、研究室でメロンパン食べているところとか。」
…カッコワルイとこばっかじゃないか。
「僕はそんな村井さんを見て、すごく幸せな気持ちになりました。」
「…?」
アイツの右手が、私の左手に重ねられた。少し冷たい。不思議と嫌悪感はなかった。
「村井さん。もう一度、言います。す…」
「わあっ!ちょっ、待った!!」
空いた右手で言葉を遮る。ヤツは眉をひそめた。だって、またあんなコトバ聞いたら、今度はどうなるかわかったモンじゃない。思い出すだけで、こんなに顔が熱くなるってのに。
「マジメ君。もうわかったからっ!」
「僕はそんな名前じゃありませんっ!」
アイツは急に下を向いて黙ってしまった。重ねられた右手が、私の左手を強く掴む大きな手。……震えてる。
「あ…と。あの、別に、オマエのこと嫌いじゃ、ナイんだ…。」
さらに強く、ぎゅうっと握りしめられる。痛いほど、気持ちが伝わってくる。
「でも、私は、タ…キタのこと、よく知らナイから、急…にコイビト、になるなんて…。」
ずっと俯いたままのタキタ。さっきまであんなに気丈にしゃべっていたのに。
「友ダチ、からじゃ駄目か?」
急に、握っていた手の力がふっと抜けた。俯いたままだったタキタが顔を上げる。
「そうです…ね。すみません、突然。」
淋し気に笑い、手を離した。
「あっ―。」
気がつくと、私はタキタの右手を握りしめていた。ありゃ?ナゼだ?
「むっ、村井さん?」
みるみる内に、タキタの顔が紅く紅く染まっていく。
一方、私の中にはじんわりとナニカが広がっていくような気分だった。まるで、ぽっかり穴の空いた部分が埋められていくような充足感。
「すまん。なんか…オマエに触れてると、スゴク落ち着く…。」
「僕に?」
「ああ…。少し、黙って…。」
本当に、心が穏やかになれた。例えは悪いが、あの親子丼を口いっぱいに頬張った時みたいだった。私は静かに目を閉じて、この瞬間を味わっていた。
「村井さん…。」
さらり、と何かが唇を掠めた。ゆっくり瞼を開ける。ユデダコみたいに真っ赤になったタキタの顔がソコにあった。
「…タキタ?」
あまりにも自然でワカラなかったが。もしや、今のは。
……接吻?
「ごめっ…。あんまり綺麗だったから。」
あたふたしてるタキタ。こんな顔もするンだな。
もっと、イロんなタキタが見てみたい…。
私は握っていた手を離して、タキタの白い頬に添えた。
「村井っ、さん?」
「ジュンでいい。」
そのまま口づける。ああ、キスがこんなに落ち着くモノだったなんて。
…しばらくして、どちらからともなく唇を離した。カモミールの香りがする。
「すまん。ゴーカンしてしまったな。」
耳まで真っ赤なタキタに向かって言う。ここまでシてしまったら、もう友ダチの域は越えてしまっただろうか。
「…卑怯ですよっ、純子さん。」
「ジュンだってば。」
私はまだ、タキタの顔に手を添えたままだ。タキタの手が私の頬に添えられる。
優しく、優しく唇を重ねる。初めは上唇、そして下唇。鳥がついばむように、軽やかなキス。
「ジュン。……もう止まらない、ですよ?」
瞼を開けるのさえ億劫だ。もっともっと、満たされたい。
「…タキタ。」
私は彼の銀縁眼鏡をそっと外し、先にタキタの唇を甘く噛んだ。それが合図であるかのように、私たちは互いの息を奪い合った。私は堪らなくなって、ベッドにもたれかかる。