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『二人の会話』
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『二人の会話』-7

「おつかれさまです」
 先に休憩に入っていた水森さんから挨拶される。テーブルには店の棚から抜いてきた女性ファッション雑誌が広げられていて、その隣にはチョコレートの箱がある。
「お疲れ様です」
 僕も挨拶を返し、少し離れた所に座り、同じく店の棚から抜いてきた漫画雑誌を広げる。休憩は15分程度だから、ぱらぱらと雑誌をめくっているくらいが丁度いい過ごし方だ。
「これ、食べますか?」
 僕が座った直後に、水森さんに声をかけられる。チョコレートの箱が差し出されている。
「いいの?」
「はい」
 水森さんは頷きの動作の代わりに、純度のかなり高い微笑を僕に向ける。
「ありがとう」
 僕は言い、一粒チョコレートをつまむ。水森さんの笑顔につられて、自分も自然と笑顔になっていることに気付く。それが本当に自然なことだったので驚いた。口の中に甘い味が広がる。
 水森さんは優しい人だ。と僕は思う。思いながら、昨日の葛西の話を思い出す。
 水森さんの優しさは純粋すぎる。そういう優しさは確かに人によっては重荷になるのかもしれない。僕は実はチョコレートはあまり好きじゃない。
 彼女の微笑には、まさか自分の優しさが、好意が、相手に断られるはずがない、相手を喜ばせないはずがない、といった雰囲気があった。それは自信ではない。そもそも初めから、それを想定すらしていないのだ。多分彼女の中では、誰かに優しくすればその誰かは嬉しいし、誰かに優しくされれば自分は嬉しい。それは無条件の法則なのだろう。
 多分彼女は生まれつき優しかったのだろう。そしてその優しさは後天的にも鍛えられてきたのだろう、自分でも気付かないうちに。
 手元の雑誌から目をあげて水森さんを見る。彼女の容姿は魅力的だ。綺麗だ、というよりは、可愛らしい、という言葉が似合う。小動物的だと思う。それも多分、彼女の優しさを培養してきた要因のひとつだろう。要するに、彼女は恵まれていたのだ。可愛い彼女に優しくされた人は嬉しかっただろうし。彼女はいろいろな人に優しくされたのだろう。
 勿論彼女にだってきっと不幸なこともあっただろうし、誰かに傷つけられたこともあった。でも人生の大半において、優しさは彼女の味方をしたのだろう。
 羨ましいと、少し思う。多分彼女はこれからもその法則の中で生きていくだろう。その中で生きていくことは、心地よいことだ。僕はその法則の外側があるということにずっと前から気付いてしまっている。
 そこで考えを区切って、漫画雑誌の内容に集中することにする。自分じゃないだれかのことをあれこれと考えるというのはあまりいいこととは言えない。結局「だろう」としか言えないわけだし。
「ねえ水森さん」
 最後に一つ質問をすることで、思考にけりをつけることにする。
「何ですか?」
 彼女はごく自然に笑顔になりこちらを向く。
「彼氏、いるって言ってたよね。どんな人?」
 突然の不躾な質問に、彼女は少し戸惑いと照れを顔に滲ませる。一つ間をおいて、しかしちゃんと答える。
「えっと、優しいヤツですよ」
 言って、さらに恥ずかしそうに顔を赤くする。その彼が羨ましくなるような、笑顔だ。純粋で柔らかで優しいな笑顔だ。
「そっか」
 ほとんど予想通りの答えに、僕はひとり納得して、今度こそ雑誌に目を戻した。
「なんでそんなこと聞くんですか?」
 という水森さんの質問には
「どういう男がモテるのかな、っていうのが知りたかったんだ」
 と、適当な答えを返しておく。
「うん、優しい人っていうのはやっぱりいいですよ」
「そうだろうね」
 でも僕は優しくはなれそうもないよ。とは心の中でだけ思う。優しさは性質だ、と葛西は昨日言ったけど、その通りかもしれないな、と思う。多分優しいということは、何かが欠けているということなんだ。その欠落が満たされてしまうと、人は優しいという性質を失うのだ。欠落を取り戻すことはできない、人が自分を変えるというのは何かをさらに付属させていくという形でだけだ。優しくなろうと努めることは出来る。でもそれは本当の優しさではない、形のいい模造品だ。設計図に基づいて、理性的に作られたものだ。本当の優しさはきっと理性とか理屈とかが介在しない領域にある、衝動や欲求に近いものなのかもしれない。


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