「命の尊厳」終編-20
「…実は、その件ですが…その容疑者候補だった男が殺されました」
「エエッ! 誰にです?」
京子は驚き、表情を堅くする。
高橋は辛い顔で声を絞り出した。
「…貴方の娘さんの、由貴さんです…」
その途端、京子は意識を失い身体ごと崩れてしまった。
由貴を勾留して10日間が過ぎた。彼女の供述は、同じ言葉を繰り返すだけだった。
おまけに遺体からは刺傷以外に手掛かりになる物が一切無く、
凶器はおろか足跡さえも見つからなかった。
分かった事は唯ひとつ。
彼女が警察署に向かった際に、タクシーを使った事だった。
それも乗り込んだ場所は、殺害現場から10キロも離れた所だったのだが、その間の目撃者がひとりも見つからなかった。
裏付ける物証や証言が何ひとつ見つからずに勾留を続ける中、県警にとって頭の痛い出来事があった。
勅使河原昌信が執拗に抗議文を送り続けて来たのだ。
〈何の罪も無い息子が殺され、被擬者も名乗り出ているのに、いつまで勾留を続けるのか? さっさと死刑にしろ〉
遠藤や高橋、加藤は苦々しい思いをしていたが、課長の牟田から一切、無視しろとの指示が出ていた。
そんな折、
「おじいちゃん。アレ、なあに?」
夕方。勅使河原邸からわずかに離れた自宅に住む尾嶋三郎は、孫の翔太を連れて散歩をしていた。
三郎は翔太が指差す方向を目で追った。そこは貯水池だった。
田植えなどの農繁期に水を使ったため、水面は随分と下がっている。その岸部近くの水面が夕日を浴びてキラキラと輝いていた。
「なんじゃ? ありゃあ」
三郎は孫を連れて貯水池の岸部に近づき、水面を覗いた。
わずかな波が立つ下から白っぽい物がうっすらと見えている。
それは5ヶ月前。野上諒子を轢き殺した信也のクルマだった。
クルマが発見されて3日後、高橋は再び勅使河原邸を訪れた。
パトカー3台とワンボックスカー1台を引き連れて。
「勅使河原さん。令状により、自宅の捜索と貴方を連行します」
インターフォンを通して聞こえた高橋の言葉に、昌信は慌てて玄関を飛び出した。
「ど、どういう事だ!」
門の扉を開けた昌信に対し、高橋は令状を突きつける。
「野上諒子、轢き逃げの案件で、貴方の息子に逮捕状が出ました。よって、貴方を参考人として強制連行し、家宅捜索を行います」
高橋の声を合図に警官2人が昌信を拘束し、残った者達は真新しい段ボール箱を持って、勅使河原邸へと向かった。