「命の尊厳」後編-8
夕食を終えた由貴の元に、桜井から連絡が入ったのは午後7時を過ぎてからだった。
彼が言うには、轢き逃げ犯の写真が出来上がったから、もう1度見て欲しいとの事だった。
「今から、そちらへ向かいますから、9時過ぎには着くでしょう」
「分かりました。お待ちしてます」
それから、きっかり2時間で桜井は訪れた。
「今晩は。夜分遅くに申し訳ございません」
桜井を父親の邦夫が出迎えた。
「さあ、どうぞ。由貴はリビングで待ってますから」
そう言って邦夫は笑顔を見せようとするが、どこかぎこちない。
彼は桜井に怒っていた。
いくら由貴が希望したとはいえ、こんな時刻に刑事が娘を訪ねて来るなど非常識な事だと。
当然、桜井にも、それは分かっている。
「いえ。写真を確認してもらうだけですから…」
「そんな、せめて中でお茶……」
桜井は邦夫の言葉を遮ると、柔和な顔で答えた。
「お気持ちは嬉しいのですが、こんな時刻に伺うだけでご迷惑でしょうし。それに、まだ仕事が残ってるもので」
邦夫は桜井の言葉に折れた。
「…分かりました。ちょっと待ってて下さい」
邦夫は家の奥へと消えた。桜井が奥の方をしばらく眺めていると、由貴と母親京子が邦夫と一緒に現れる。
「これを見てくれ」
簡単な挨拶を交した桜井は、由貴に写真を渡した。
黙って受け取り、静かに見つめる由貴。その両側に立つ邦夫と京子も、写真を眺めていた。
〈ドクンッ!〉
心臓が強く脈動する。
「…こ、こいつだ!!」
はらわたから絞り出すような声。そばに居た邦夫は息を呑んだ。
「……由貴…?」
「こいつだ!!こいつが私を轢き殺した!」
写真を掴む両手は小刻みに震えていた。歯をむきだし、怒りに満ちた目からは涙が溢れて頬を濡らしている。
野上諒子は、始めて己を殺した相手を知った。
眼下に広がる草原。
吹き込む風に草花は踊り、まるで海原の如く、ひとつの調和を織り成していた。
その景色を傍らの芝生に腰掛け、2人の女性が微笑みながら景観を眺めていた。
由貴と諒子。
ひとつの肉体に宿る二つの魂。
相入れなかった2人。
だが、お互いが知り合う中で心を通じ合わせ、本物の肉親以上に、無くてはならない存在へと変化していった。