「命の尊厳」後編-10
「…どうだい?少しは気分良くなったかな」
「先生!」
突然、すっとんきょうな声を挙げた由貴。処置室に現れたのは、加賀谷龍治だった。
加賀谷は、はにかんだ表情を由貴に向けた。
「ちょうど当直でね。君が倒れたってお母さんから聞いたものだから」
「…すいません。こんな時刻に」
にこやかに話す加賀谷と由貴だが、表情が堅くぎこちない。お互いに先日の事が頭に有るのだろう。
特に加賀谷の方はずっと悩んでいたから尚更だ。
「…じゃあ、点滴が済んだらちょっと診ようか」
加賀谷は看護師に指示を出すと、処置室から出て行った。
15分ほどで点滴を終えた由貴は、看護師や京子に付き添われて診察室へ向かった。
「それじゃあ、上着を脱いで…」
上半身を露にした由貴に、加賀谷が聴診器を当てていく。
看護師から血圧の値が口頭で述べられる。
「……問題は無いですね。血圧も正常値だし、心電図や聴診器の音からも異常は見られません」
「ありがとうございます」
由貴は上着を身につけながら、加賀谷に頭を下げた。
「後は血液検査の結果次第ですね。明日、昼過ぎには出ますから、異常が見つかった際には連絡しましょう…」
そこまで言った加賀谷は〈後はいいから〉と、看護師を診察室から出て行かせると表情を一変させた。
「ボクは君に謝らなければならない」
その顔は苦悩に満ちていた。
「自分がきっかけを作っておいて、君が次々と真実を明らかにしていくのが怖くなった。
自分の保身だけを考え…とんでもない言葉を君に言ってしまった」
加賀谷は堰を切ったように、自分の思いを由貴に言い聞かせた。
そんな彼の言葉に、初めは戸惑いを感じた由貴。だが、その気持ちは、すぐにいとおしさに変わった。
「…先生。ありがとう。分かってくれて……私、嬉しい…」
「今後、何かボクに出来る事があったら言ってくれ」
そう語った加賀谷の顔は、先ほどまでの苦悩の表情は消え失せていた。
「…ありがとう…」
由貴の瞳に喜びの涙が溢れた。
「但し、あまり無理もしないでくれ。君の身体が心配だからね」
「はいっ」
夜半過ぎ。由貴は帰路に着いた。
「よかったわね、由貴。先生とも分かり合えて」
タクシーの中で京子が嬉しそうに声を掛ける。
由貴は黙って頷いて、
「…ホント。すごく嬉しかった…」
その顔は満足気だった。