恋の奴隷【番外編】―心の音F-1
Scene7−弟?妹?
「なぁーさっきから何怒ってんだ?」
「別に」
私は昼休み恒例となった牛乳バトルを放棄して、足早に教室を出た。しかし、すぐにノロが追いかけてきて、腕を掴まれた私は数メートル先で立ち止まる。訝しそうに眉根を寄せて、そう尋ねるノロに、私は無愛想な返事をよこして、そっぽを向いた。
ここのところ、私は少しずつ変わってきていると思う。
まず、よく笑うようになったこと。クラスメート達も、しばしば声を掛けてくれるようになって。表情が柔らかくなったと言われた。それまでの私は、周囲からみたら大分、取っ付きにくい存在だったと、自分でも思う。妙なあだ名で呼ばれることに、抵抗があることは変わりないのだが。
そして、随分と気持ちにも余裕が出来た。何をするにも周りの目ばかり気にして過ごしていたから。大人ぶったり、自分を取り繕うことはもうやめた。これも全部ノロのおかげ。
しかし、それと同時に、新たな悩みも生まれた。
ノロは相変わらず毎日が笑顔の大売り出しで。ノロが女の子と楽しそうに笑っている姿を見ると、どうしてか、胸糞悪い。ただのムカムカなら胃薬でも飲めば楽になるのだろう。しかし、そんな単純なものではないのだ。胸がズキズキ痛む。なんだか、泣きたいくらい悲しい気分になってしまう。こんな気持ち、今まで経験したことなくて。正直、少し戸惑ってしまっている。
「まぁ悩みがあるなら言えよ?いくらでも聞いてやるから」
ノロはそう言って、私の頭をぽんぽんっと軽く撫でた。私は俯いたまま、苦い表情を浮かべる。だって、説明の仕様がないもの…。
「あ、ナッチー今日暇?」
私が頷きもせず黙っていると、ノロが思い出したかのように首を傾げてそう尋ねてきた。
「特に何もないけど…」
「うち、来ない?母さんがナッチーに会いたがっててさ。夕飯ご馳走したいって言って聞かないんだよ」
ノロはそう言って困ったような笑みを浮かべた。
ノロのお母さんはすらっとしてとても綺麗な人だと、今でも鮮明に覚えている。子供ながらに遺伝子というものを疑ったものだ。今となれば納得できるけれど。
「でも急にお邪魔するのは迷惑じゃないかしら」
「へーきへーき!暇な専業主婦だから」
言葉を濁して躊躇っていたものの、最終的にはノロに上手いこと丸め込まれて。私は渋い表情を浮かべた。けれども、そんな表情とは裏腹に、少し心が浮き立つ。
ノロのお母さんは私にとって憧れの存在だったから。笑顔が柔らかくて、『なっちゃん』って穏やかな声音で私の名を呼ぶの。
幼い頃からしつけにはとても厳しかった結城家。両親との会話は敬語が当たり前だった。母親からは、さん付けでしか呼ばれたことがなくて。寂しくないと言ったら嘘になるし、息苦しささえ感じていた。さすがにもう慣れたけれど、年末年始のような身内の集まりは、今でも緊張してしまう。
「よし、決まりな!」
私が遠慮がちにコクリと首を縦に振ると、ノロはにしし、っと悪戯っ子のようにはにかんだ笑みをよこした。
「そうと決まれば、早いうちに連絡しとかないと!あれ?携帯…あっ!教室だ!!」
ノロは制服のポケットを捜索するそぶりを見せると、独り言のようにそう呟いて教室へと慌てて戻って行った。そんな様子にクスリと小さな笑みが零れ、私は目を細くして彼の後ろ姿を見送った。