《glory for the light》-5
―五月。
吹き抜ける風は瑞々しく、降り注ぐ陽射しは温かく、時折街を濡らす雨は冷たい。そんな季節だった。
木々は青々とした本来の色を取り戻して、生の息吹を惜しまずに解き放つ。
故郷の五月は光に乏しく、流れる風の温もりは、暖かさよりも何処か哀愁を感じさせた。僕はこの街にくることで、少しだけ五月が好きになれた。
日々、未来へと進化を続ける近代的で無機質な街並。そこに広がる青々とした街路樹は、上京の慌ただしさを、慈しむようにそっと忘れさせてくれたのだった。
僕は小走りで街路を駆け抜ける。
終りを告げた春を悼むような陽射しを、隠して広がる広葉樹の群れを仰いで見るまでもなく、靴底に伝わる腐葉土の感触は、遠い昔、この辺りが深遠な森であったことを告げていた。
小鳥たちのきらびやかな唄声が、木々の幹に乱反射してあらゆる方向から降り注ぐ。
僕は息を切らせて街路を通り過ぎ、突き当たりにある喫茶店にたどり着いた。
木製の重厚な扉を押し開くと、取り付けられたベルがカランコロンと響き渡り、僕の到着を店主に告げた。
「…遅いな」
初老のマスターが、サングラスの下で僕に睨みを効かせる。
「責めないで下さい。アパートを出た途端にバイクがストを起こしたんです。必死でなだめたんですけどね。歳が歳ですから。頑固者で聞く耳持たずって感じで…」
僕がそう言うと、マスターは呆れた顔の中にも苦笑を織り混ぜる。
「買い換え時だな。俺が乗ってた頃にはもう少し謙虚な奴だったんだが」
「八年もほったらかしにされた末に新しい乗り手が僕なんかじゃ、根性もひねくれますよ」
マスターは髭を摩り、過去を振り替えるように重く領ずき、微笑んだ。
「いや、お前は大事に乗ってくれてるよ」
僕の125CCの単車は、元はマスターのセカンドバイクだった。彼が大型に乗り換えてからはガレージの隅で埃を被っていたのだが、その話を聞いた僕が二ヶ月のバイト代と代わりに購入させてもらったのだ。破格の安さだと言える。
「新しいのを買うにしろ、あのオンボロに乗り続けるにしろ、取りあえずは働いてもらわなきゃな」
そう言って、早速彼はソーサーを僕に差し出す。
「了解」
僕は小休止を入れる暇も貰えず、ソーサー上のコーヒーを客のもとへと運んだ。
このバイトに有り付いて幸運だったことが二つある。
一つは簡単な料理を覚えられたこと。もう一つは、このマスターという歳の離れた友人が出来たこと。彼との出会いは、入学式の帰りに僕がこの店に立ち寄ったのがきっかけだった。
上京したてで、疲労の色が濃かった僕が独りでコーヒーをすすっていると、マスターがきさくに声をかけてくれた。
小学生の頃、僕の大好きだった叔父が死んだのだが、彼は何処となく叔父と似ていた気もする。笑った時に浮かぶ目尻の皺とか、歳に似合わず車やバイクの類が好きな所とか…。幼い頃、中年太りで風船みたいに膨らんだ父とは対照的に、精悍だった叔父の姿は、昔の僕に取っては憧憬の対象だった。叔父に子供はいなく、時折僕とタンデムでドライヴに行く時の瞳は、まるで本当の親子が接しているかのように、優しげだった。
(僕は今に至るまで、本当の両親から、あの温かい眼差しを貰った記憶がない。彼等が僕を見る時の目といったら、なんだか壁に張られた夜中のポスターの中みたいに冷徹なのだった)
叔父は雨の日に死んだ。十一歳の頃、僕が肺炎で倒れ、緊急入院した日のことだ。仕事を終えるのも待たず、降り頻る大雨の中、僕が運ばれた病院への薄暗い道路を、バイクで駆け、交通事故。皮肉なことに、その30分後の空は、虹が掛かりほどの晴れ渡る蒼穹だったという。
叔父があの日、僕のことを両親みたいに、「たかが肺炎だ」と割り切って仕事を最後まで続けていたら…あるいは…。それ以前に、僕は自分の体が叔父に死を呼んだのだという、確かな因果に途方もない罪を感じて、何よりも自分を憎んだ。悲しみを和らげるためには、どうしても憎しみの対象が必要だった。
「マスター、バイクに乗る時は、安全運転でね」
僕はバイトの帰り際、何度か彼にそう言った。やはり、それは雨の日が多かった。
「馬鹿野郎。免許取り立てのガキに言われるまでもねぇよ」
彼はいつもそう言って笑いながら、早く帰れと促した。ぶっきらぼうな口調もそっくりだった。