『one's second love〜桜便り〜』-3
――要の部屋を見せてほしい。そんな意味不明なお願いにもオバさんが快く承知してくれたのは、おそらく兄のおかげだろう。
私自身、要の親とは面識がなく……たとえあったとしても、小さい頃に一度か二度顔を突き合わせたくらいだ。だがうちの兄ときたら、どうだ。このあつかましいくらいに馴れ馴れしい態度は私が知る以前の交流があったとしか思えない。
それとも、それすらも思い出せないだけなのかもしれないけど…。
私の、単なるこの記憶障害とはいえない奇病を治療しようと言い出したのは、他でもない波多野圭介。
医者として、教師として私達二人に携ってきた兄の一言が発端の始まりだった。
「うげぇ〜、相変わらず汚い部屋だなあ」
二階の間取りの中で一番陽当たりの悪い一角に、要の部屋はあった。
少し埃がかった雑誌類を退けて床に座る。
「そう?兄貴の部屋と大してかわらないけど」
「違う!こいつは掃除なんかしてないね。その点、俺は片付ける時間がないだけで…」
訳のわからん理由で掃除論を語る兄に辟易しながらもざっと見渡すと、部屋の節々から要が生活していた跡を見つけることができる。
彼がここを巣立っていった半年間。
その六ヶ月たらずの間に、私の病魔は確実に進行していた。
要と会っている時は気付かなかったけど、今では自分でもはっきりと感じる。
もう、二年前に彼と再会したときの記憶すらない。
…だんだんと、薄れていく思い出。
いつかこの気持ちまでも失って本当の意味で彼をなくした時……私は…?
それ以上先を考えるのが、怖くて怖くて仕方ない。
だから今は、必死で手を動かし、行動に移す。不安にならないように。
「どう?なにかめぼしい物はありそう?」
「いや、全然」
「写真とかあるかしら?昔の」
「そうだな。できればお前と要の二人で写ってるヤツがいいな」
「どうして?」
「具体的に目に見えるもののほうが、手っ取り早いんだよ。おっ、これは…」
「ナニナに、何かあった?」
「…ひ、秘蔵のエロ本発見」
「………」
なくなるのなら、補完すればいい。
それが兄貴の考えだった。
?
記憶ってのは本当に曖昧で、情けないくらいに当てにならない。
詰めるだけ詰め込んでくれるくせに、使わなければ腐るだけ腐ってあっけないくらいゴミ箱にポイ。
数式を覚えられないのも、人の顔を覚えられないのも、遠距離恋愛が続かないのも全てこいつのせいで………
だからもう利用価値のない情報なんてまとめて捨ててしまった。
生まれ育った、あの街へ……
秋。空っ風に巻かれて冷たくなった体を暖めるために、俺は最早たまり場と化した例の喫茶店へ立ち寄った。
「こんにちわ……あれ、誰もいないな」
店内に人影はなくいつもそこにあるはずの笑顔がカウンターから消えていた。
「ナツコさん?ナツコさ〜ん……入るよ?」
俺は他に客がいないことを確認するとレジの裏に回り、店の奥から持ってきた珈琲メーカーをナツコさんの席に置いた。
これって犯罪行為じゃ……不法侵入か?
いや、そんなことはない。なぜなら俺はこの店の「顔馴染み」なのだから、ある程度の自由が許されていてもいいはずなのだ。