未来と過去と今と黒猫とぼく ー約束・後編ー-3
花火の名前、雪の結晶の種類、ドン・キホーテ、古いブルース、先の未来で無くなる歴史的な建造物。
あまりにも色々な物に無関心なぼくに、優姉さんは雑多に、自らの力さえ駆使して色々な物を教えたがった。
そんな中で姉さんは、自分が死ぬ瞬間に、教えたかったのかもしれない。
感情の、憎しみという部分を。
不意に、身に覚えのある感覚がぼくを襲った。
それは今日の朝、黒の夢を見た後の虚しさに似ていた。
自分の周りの物、全てが偽物に見えるような。
自分の目の前に存在する物、全てが幻のような。
自分自身が、この世にとって一番不必要であるような。
酷く空虚で寒々しいモノが、目眩にも似た強烈さで襲ってきた。
なぜだろう。
ぼくは頭に僅かに残った冷静な部分で考えた。
なぜ今更こんな気持ちになるのだろう、と。
寂しさだった。
それは強く、堅く、圧倒的で、抗い様のない孤独だった。
満天の星空の下には、まるで自分しか居ないように思えた。
手を伸ばし、やっとの思いで触れたモノは、全て壊れてしまうように思えた。
優姉さん。昔死んだ、ぼくの姉。
黒。昨日死んだ、ぼくの可愛がっていた猫。
武内とのくだらない話。
引っ越してしまった友人からの便りの途切れ。
あれほど仲の良さそうに見えたクラスメイトのカップルの別れ。
言えなくなった言葉、もう二度と向けられる事の無い視線。
遊び場にしていた空き地に建ったマンション。
散った花。
枯れた木と葉。
浜辺に流れついたウミガメの死体。
もう戻る事の無い、この時。
今には無い、昔、いつか、どこかで居なくなった全てが、ぼくの中にある何かをおかしくしていた。
優姉さんとの約束を守る事で、ぼくが保ち続けて来た何かにヒビを入れていた。
なぜ彼らは居なくなってしまうのだろう。
なぜ彼らはいつか壊れてしまうのだろう。
なぜ優姉さんは死んだのだろう。
奥底にしまい込んでいた感情をぼくは留める事ができなかった。
誰かの安心や幸せが永遠に続かない事が虚しかった。
今この時にも何かが変わり、無くなり、死んでゆく事が悲しかった。
空を見上げた。
そこには変わらない星空があった。
もしばあちゃんの言う通り、本当にこの中のどこかに優姉さんがいるのなら…。
優姉さん、なんで?
なんで、ぼくにあんな事を?
心の中の問いに、答える声は無かった。
優姉さんはもう、何年も前に死んでいた。
「…どうしたの?」
どれくらい空を見ていたのだろう。
伊隅さんは空を見上げるのをやめてぼくの顔を見ていた。
「…泣いてるの?」
「…泣いてないよ」
ぼくの頬に涙は流れていない。
当然だ。
優姉さんが死んだ時でさえ、涙は流れなかった。
ぼくは泣けなかった。
優姉さんの死を悼む事ができなかった。
「そうだね…でも私には泣いてるようにしか見えないよ」
「そう…」
伊隅さんと、じっくりと顔を合わせた。
伊隅さんの目は、やはりどこまでも優姉さんのそれに似ていた。
彼女の目に映るぼくは、確かに泣いているように見えた。
やめろ、お前はそこに映るべきじゃない。
今すぐ消えてしまえ。
お前に居場所なんか在りはしない。
自己否定が津波のごとく押し寄せた。
限界だった。
これ以上抗う事は不可能だ。
溢れ出す物を止められない。