サディスティックに愛されて-1
「はぁ〜い♪かわいいオトウト」
「誰だよ、おまえ!」
この台詞を俺と沙希が吐き続けて三年…今ではもう、合言葉のようになりつつあった。
身体を剥れまいと机にしがみ付く俺を、後ろから羽交い絞めにして、嬉しそうに『オトウト』と呼ぶこの女は、中里 沙希
「おっ、沙希嬢。今日も恒例の隆文いびりですか?」
後ろの席の笠間 拓が、そう言いながら頬杖をついてうれしそうに傍観している。
俺のことを『オトウト』と呼び、趣味は『隆文をからかう事』と言い切る沙希というこの女と俺は、れっきとした赤の他人だ。
その、赤の他人の沙希が、同じ年なのにもかかわらず、俺のほうが誕生日が三日遅いという理由で『オトウト』と呼び、なにかとちょっかいを出してくるようになったのは、俺達が中学生だった最後の年。
俺の母親と、コイツの父親が再婚したその瞬間からだった。
―おい、おい…と、言うことは、おまえ達は義兄弟ではないか?―
と、お思いになるだろうが、沙希の親権は母親にあり、その母親と暮らしているのだから、俺とは、縁もゆかりもない人間の筈なのだ。
それなのに…
「ねぇ隆文。これ、いい言葉だと思わない?」
背中にグッと体重をかけて、肩越しに腕を伸ばし、俺の机の上に置かれたプリントの『法句経』の一文を指差す沙希。
そこには『―たとえ命のかぎり師にかしずくとも…―』という一文が記されていた。
「これがどうしたって?」
「ほら、この『かしずく』って言葉、最高じゃない?なんか女王様気分♪そうだ!ねぇ、ちょっと隆文、私にかしずいてみてよ」
俺はガックリと肩を落して沙希を肩越しに睨む。
「おまえ、絶対Sだろ!?この変態女」
「じゃぁ隆文、あんたはMだわ。『もっと言って』って思ってるでしょう?この変態M男」
即座に反論しようと、思いっきり息を吸った。
「…」
しかし、その呼気は言葉となって吐き出されること無く、俺は、大きく口を開けたまま、情けない格好で固まってしまう…
肯定も否定も出来ず、目の前の沙希を睨み付ける…いつものことだった。
だって、沙希と言い争ったところで、俺に勝ち目はない。
そう…『沙希の元父親が俺の母親と再婚した』というこの事実を、横で嬉しそうに笑っている幼馴染みの拓と、俺に向かってファイティングポーズをとって、『かかって来い』と挑発している沙希の二人以外の人間には、絶対知られたくはないと俺が思っている限り、悔しいけれど、こいつの言いなりになるしかないのだった。
再び頭を抱える俺の後ろで、大きな弱味を握っている沙希の高笑いが今日もクラスにこだまする。
その日の放課後、俺は、学校の玄関先で壁にもたれ、座り込み、鉛色の空を見上げていた。
雨だ…しかも、バケツをひっくり返したような雨。
少々の雨なら濡れて帰る。
『もう、また制服こんなに濡らして。乾かなかったら明日、裸で学校行きなさいよ!』と怒りに震える母の叱咤さえ我慢すれば、冷たい雨に濡れて帰るのも悪くはない。
「だけど…この雨はちょっとなぁ〜…」
小さく嘆き、大きく溜息をついたその時
「さすがのお子様隆文君も、この雨じゃお手上げ?」
天を仰いでいた俺の視界いっぱいに飛び込んだ、不敵な面構えの沙希に、あからさまにムッとする。
「また、おまえかよ。悪かったな、ガキで!」
「やだ、褒めてるのよ」
「…どこがだよ!」