サディスティックに愛されて-2
ザワザワ……――
全ての音を掻き消してしまう雨音に、不毛な争いは中断され、この世に二人きりになってしまったような錯覚に陥った俺は、見つめ合った視線を慌てて解き、黙り込んでしまう。
「ねぇ…」
落ち着きのない俺の横に、ストンと座り込んで、先に口を開いた沙希。
「父さん…元気?」
「あ?あぁ…元気…だよ」
沙希の言葉に胸がキュッと痛む。母が再婚して、三年の月日が経っても、未だに『父さん』とは呼べず、俺にとっては『同居人』のような義父でも、コイツにとっては、いつまでも、たったひとりの父親なのだ。そう思うと、何か胸騒ぎのような、むず痒い気持ちが体の奥から湧き出てくる。
「おまえさぁ…俺や、俺の母親が憎いだろ?俺の母さんは、おまえから父親を奪ったんだからな」
「…そんなこと…」
「だから、いつも俺をいじめて喜んでるんだろ?」
「それは、違う!私は…ただ…」
『ただ…』と小さくもう一度繰り返した沙希は、その先の言葉を無くし、下唇を噛み締めた。
否定しきれない沙希に、『やっぱりな』と感じながら、俺は再び天を仰いだ。
憎まれて当然だ。だってそこには、避けては通れない『不倫』という不貞の事実が横たわっている。
母は、俗に言う『泥棒猫』ってやつだ。沙希に恨まれても仕方が無いことをしたんだ…。
それでも、沙希…。
おまえには悪いけど、俺は母さんには、幸せになって欲しいと思ってる。
だから、おまえに父親を返す訳にはいかないんだ。だからその代わり…
「俺をいじめて気が済むなら、いくらでもやってくれ。そのくらいは覚悟しているつもりだから」
「私そんなつもりじゃ…」
俺にはそれ以上、沙希の答えを聞く余裕も無く、居たたまれない気持ちに、掻き立てられるように立ち上がり、カバンを無造作に肩に掛けると、別れの挨拶もせずに、雨の中へと歩き出した。
階段を二三段降りた、その時――
「ちょっと待ってよ!」
意を決したような大きな声と共に、いきなり腕を掴まれて、俺は、必然的に足を止めた。
振り返った俺の体に降りかかる雨は、一瞬にしてその体を包み込む。
首筋から入り込んだ冷たい雨が背中を伝う。
「……」
腕を掴んで、呼び止めておいて、そのくせ黙り込んでしまった沙希。
その体も、俺と同じ、冷たい雨が打ちつけている。
腕を掴んでいる指に、グッと力が入るのを感じて顔を上げると、肩まで伸びた髪の毛の先からポタポタと雫を垂らし、下を向いたまま唇を噛み締めている沙希の切ない顔が、網膜の中に飛び込んだ。
「濡れるだろ」
「だって…隆文は…」
そう言ったきり、なにか言いたげに俯いたままの沙希。
俺は、そんな沙希をどう扱っていいか分からず、なんとなく肩に掛けていたカバンを沙希の頭上にかざした。
そんなことで、この激しい雨から沙希を守れるとは思いはしないけど、他に思い当たらなかったから…
「なんだよ沙希。黙ってたらわかんないだろう?」
『いつもなら、言いたい事をずけずけ言うくせに』と続けようとした俺のその言葉は、一瞬にして彼女によって遮られてしまった。
沙希の頭上にかざしていたカバンが、驚きの余り、力を失ってしまった俺の手から、ドサリと地面に落ちた。
グッと背伸びをした沙希の腕が、俺の首に巻き付き、不意に抱き寄せられたかと思うと、言葉を飲み込んで薄く開いたままの俺の唇は、あっという間に沙希の唇に塞がれた……。