嵐が来る前に-10
「こんな形で皆と別れるのも、辛いよねぇ。
切ないよねぇ」
いつの間にか先生は僕の後ろに来て、頭を抱いてくる。
「先生………?」
「先生は君にこんな事しか出来ないけど、全部吐き出しちゃえ。
今まで堪えてたもの、全部声に出してスッキリしようよ。ね?」
先生の優しい声と言葉が、心に染みた。
「せんせぇ………っ!!」
僕は先生の声に引き込まれるかの様に振り返って、その胸元に顔を埋めていた。
「ああああぁぁぁぁぁぁっっ………!!」
十年近くぶりに、声に出して、泣いた。
自分でも、予想もしなかったくらいの大声で、泣いた。
漆原の顔が、皆の姿が。
そして片野さんが、頭の中に浮かんでは消え、今までの思い出が交錯する。
その時になって初めてはっきりと、自分の気持ちを悟った。
女の子の身体になった事自体にはそれぼど悩まなかった自分が、なぜこんなにも辛いのかを。
それは『皆と別れたくなかったんだ』と言う事に。
『変わり果てた自分の姿を、変わった目で見られたくなかったんだ』と言う事に。
それからどれくらいの時間が流れたのか。
いつの間にか僕の声は小さくなり、小さな鳴咽に収まっていた。
「ごめんなさい、先生!」
ずっと先生の胸の中で泣いていた事に気が付き、慌てて離れる。
先生のスーツを自分の流した涙で、グシュグシュにしてしまっていた。
冷静さを取り戻した僕は、たった今まで恥も外聞も無く泣いてしまった事を思い返して、自己嫌悪に陥り顔を伏せる。
「鳴海くん。
女の子の特権を一つ教えてあげる」
先生は僕の隣に座ってきて、さっきと変わらない優しい口調で話しかけてくる。
「女の子にとって大声で泣く事は、恥ずかしい事じゃないんだよ」
「え………?」
机に伏せていた顔を先生に向ける。
「陰でおもいっきり泣いて叫んで、そして次の日を笑顔で迎えるの。
だって大声で泣く事は女の子にとって、ストレスを発散できる最高の手なんだもの。
だから女の子は強いの」
スーツのポケットからハンカチを取り出して、それを差し出してきた。
『先生もそのハンカチで、何度も涙を拭いてきたのかな?』
綺麗に折り畳まれた女物のハンカチを見つめながら、そんな事を思う。
確かに先生の言う通り、僕の心は今までとは比べ物にならないくらい、軽くなっていた。
『でも、そんな程度で軽くなるような、どうでもいい悩みじゃなかったはずなのに……』
そう思うと、そのハンカチを受けとる資格が僕には無いように思えて、手を伸ばす事が躊躇われた。
「泣いた程度で、軽くなるような悩みしかない僕って、冷たいのかな」
先生は僕の腕を取り、ハンカチを手の中に握らせる。
「この手を胸に当ててご覧なさい」
掴んだままの手を、胸に押し当てられた。
ズキッ!
今まで何度と無く味わってきた、重さと苦しさ。
出てきそうで、こない吐き気。
「何も感じなかった?」
何でも見通してるみたいな、先生の台詞。
僕は首を横に振る。
「重くて、苦しくて……」
それだけが言えた。
「それは今、君の心が傷付いてる証拠だよ。
本当に冷たいなら、傷なんて付かないもの」
言われて僕は、抱き締められた。
「君は冷たい人間なんかじゃ、絶対ない!」
小さな僕の身体は、先生の身体の中に埋もれる。
「次の学校に行っても、元気でね?
困った事があったら、いつでも相談してきて良いから」
「………はい」
片野さんとの仲はこれで終った。
たった数日の恋人同士だったけど、口付けを交した瞬間だけは、心は確かに通じていた。
そして僕のその一言で、全てが終った事を、はっきりと自覚した。
第一部 完