捨て猫-9
俺らは社会の中に生きているのだ。
それは、社会に参加していないように『思われる』ヒキコモリもニートもかわりな
い。
その証拠に犯罪を犯したら、俺らヒキコモリだって罰せられる。
社会がそれを間違いとすれば、どんなものでも間違いで、悪といったら悪で、正義と
いったら正義なのだ。
理不尽かもしれない。おかしいのかもしれない。
でも、俺らがこうして生きていられるのも社会のお陰である。
社会が犯罪者を罰し、安全な空間を作り出しているお陰なのだ。
だからそれに報いるため、俺らも社会に従わなければならない。
たとえ、正しいことが間違いにされても、悪が正義にされても……パンツを履くこと
は、非効率的で、馬鹿げてることなのかもしれない、でも正しいのだ。
そうなければならないのだ。
「パンツはな、この世界の通行証なんだ」
「はあ?」
意味がわからないのがまるわかりな、そんな顔でユキは聞き返す。
たぶん、これを説明するのは相当苦労する。彼女の反応でそれは容易に予想できた。
「ユキは今、どこにいる?」
「あんたの部屋」
「これからどこに行く?」
「映画館」
「そう、映画館だ。映画館は外の世界。外の世界には、社会っていう箱がある。俺ら
は嫌が応でもその箱の中に入らなきゃならない」
「どうして、箱に入らなきゃいけないの?」
珍しく素直に不思議そうにユキは聞く。きっと社会という概念を彼女はあんまり理解
してないんだろう。
「叩かれる。非難される。下手すれば罰せられる。とにかく酷い目に合わされる。箱
の外はとっても過ごしにくい」
「だから、これを履かなきゃいけない、と」
ふむふむ、と頷きながらユキは納得したようだった。
あまり物を知らない彼女は、外の世界を吸収しようとしているのだ。
俺のくだらない持論を通して。
だから、彼女にしては、こういう時異常なほど素直なのだろう。
「そう、わかったらさっさと行こう。もう始まるよ」
こく、と言葉も無くユキは頷く。
そして。
唐突に俺の手に何やらすべすべとした、柔らかいものが繋がれた。
「え?」
ふと見ると、ありえないことにユキと俺は手を繋いでいた。
あんなにいつもツンツンしていた彼女がだ。
それが、突然手を繋いでくるとは、小学生がノーベル賞受賞より衝撃的な事件かもし
れない。
さすがに不審に思い、ユキの顔を見ると、恥ずかしげに下を向きながら、なぜかム
スッっとしている。
「外、怖いのよ。悪い?」
「いや悪くないけどさ」
少なからずユキに頼られてることに、少しばかり嬉しくなりなる。
でも、同時に申し訳なくなった。
きっと俺はその恐ろしいものからユキを守ってやることはできなそうだから。
俺は、現実から目をそらし続けたヒキコモリ。どうしようもなく無力だから。
電気が落とされ、徐々に辺りが暗くなる。
スクリーンと自分達との距離が一瞬無限になり、また元に戻る。
あまり広くない映画館内には、俺らの他に数えるほどしかいなかった。
これならば、ユキの耳を隠すための麦わら帽子を誰かに注意されるなんて事もなさそ
うだ。