《SOSは僕宛てに》-8
死んだ愛娘を象った人形を作る職人の女性もそうだ。青年には、彼等の姿が名の売れた芸術家より、余程眩しく輝いて見えた。青年は気付いた。夜闇に瞬く星明かりがそうであるように、光は闇がなければ、それは光ですらない。流行や大衆化を基盤としたものではなく、自らの裡に潜むエゴと闇を享受した、翳の上に注ぐ光こそが、自分の求めていた芸術の姿なのだと。青年は次第に、彼等のような芸術家たちと触れ合う事に、誇りを持ち始める。痛みを抱えながらも、逞しく生きる彼等の事を、羨望ではなく、尊敬の瞳で見るようになった。人に傷付けられた人程、その痛みを知っているが故に、人に優しくできる。彼が気付いたのはそういう事だった。しかし、嫉妬が畏敬の念に変わった所で、捨て切れない夢に対する葛藤は、消えはしなかった。闇を抱えた人々は、それを滋養とし、人に感動を与え、癒す。しかし、自分自身の傷を癒すのは、その限りではない。人に癒しを与える代償に、自らの傷が癒える事はない。結局の所、自分たちはそんな悲しい生き物であるという事にも、青年は気付いてしまった。
少女は彼の告白を聞き終えても、暫く、口を閉ざしたままだった。青年は自分の傷を癒してくれた。端から見ればほんの些細な、けれど、自分に取ってはとても大きな勇気もくれた。しかし、彼もまた、傷を負った人であり、誰かの傷を癒す事はできても、自分の傷を癒す事のできない悲しい人間だった。だったらと、少女は思う。自己治癒ができない傷なら、私が彼の傷を癒す薬に成りたい。そう切に考えた。それは、自分の傷を青年に癒して貰った義理という、陳腐な善意ではなかった。ましてや、それが自分にしかできない事だからというエゴでもない。それは単に、『好きな人の支えに成りたい』という、誰もが抱く夢だった。無垢なる想いだった。それを『恋』と呼ぶ事に、もはや少女は躊躇わなかった。本当はその淡い想いには、もっと前から気付いていた。しかし、盲目というコンプレックスと、歳の差という些細な(彼女に取っては広大な)壁を前に、気付かない振りをしていた。その壁の向こうで、好きな人が苦しんでいるなら、どんな壁でも乗り越えようと思った。
少女は短い沈黙の後、その想いを言葉に乗せて彼に伝える。
『私は目が見えないけど、あなたのおかげで今まで見ようとしなかった世界が、少しだけ広がったような気がします。勿論、それは視覚的な意味ではなくて、それは例えば、あなたの言った[心の瞳]と呼べるもの、ですよね。私はその瞳を通じて、何を得たのか、それは私自身にも、まだ良く分かりません。何かを得たとしても、それをどのようにして、生かす事ができるのかも…。私には分からない事が多すぎます。でも、それは理解するものではないですよね。ましてや、誰かに教わるようなものでもない。その瞳に何が写っているのか、本当の意味で知り得るのは、他の誰でもなく、私自身ですからね。自分で気付くしかないんだと、思います。だから私は、考え続けます。理解するものではないにしろ、考え続けます…。でも、こんな風にも思うんです。考え続けても、きっと何度も当たり前の事に気が付くだけなんだと。
きっとみんながそうなんでしょうね。当たり前の事実の中に、当たり前の幸せや価値観を探している。求めるものがどんなに類系的でも、そこへ行き着く道は沢山在るから、人は時には迷ったり、立ちすくす事も在る。多分、そんな時に人か必要とするもの、それが心の瞳なんでしょうね。私、おじいちゃんが病気で倒れた時、自分はなんて無力なんだろうと、落ち込みました。自分自身が、酷く弱い人間だと実感したから…。でも、そんな時、あなたが私に光をくれました。私独りじゃ見えない道の先を、あなたの心の瞳が映してくれました…。嬉しかった…。暗闇に紛れた道に光が射した事実より、こんな私にも、光を与えてくれる人が、支えになってくれる人が居たという事。そして私にも、それができるという事に気付いたのが、何より嬉しかった…。人と人とは、お互いを写す、合わせ鏡だから、独りでは見えないものが沢山在るんですよね。鏡に写ったあなたの瞳が、私にそれを教えてくれました。人に優しくできない人は、人に優しくされないように、鏡に写った誰かの姿は、自身の反映なのだと思います。ねぇ…今の私は、あなたの心の瞳が写す鏡の中、どんな風に写し出されてますか?…凛とした強い女の子?優しい女の子?…それとも、ただのか弱い、目の見えない女の子かな…。でも、もう、いつまでもウジウジと悩んだ振りして、立ち止まっている女なんかじゃないって、私は信じてます。…ねぇ…私は目が見えないけど。…私は、女だから…。…目なんかみえなくても、感じる事が、できます。誰よりもあなたの優しさ、あなたの光、ちゃんと私は、感じています。あなたの瞳に写る、今の私の姿が、そう証明してる。だから、あなたも信じて下さい。自分自身を…。それでも癒されない痛みが在るのなら、私に分けてくれたって構わないから…。私じゃ駄目かもしれないけど、でも、もし私で良かったら、寄り掛かって下さい。あなたの失った「行き先」を、私も一緒に照らしたい…』