《SOSは僕宛てに》-18
「…少し、刺激的でしたね」
シアターを出た後、翔子はバツが悪そうに感想を漏らした。
「でも、芸術的では在る」
「もちろん。私もそうは思いましたよ?ええ。芸術的でした」
子供扱いされたくないのか、彼女はそう弁解した。
「そうか、どこら辺が?」
と僕。
「…亮さん。性格悪っ…」
と翔子。僕は思わず吹き出した。
「ごめん。安心しろ。僕も100%理解している訳じゃないよ」
「隙を見付けるとすぐにからかう癖、直すべきですよ」
翔子は撫然として歩調を早めた。僕も歩調を早めてペースを合わせる。
「お詫びに昼食をおごるよ。いや、勿論初めからそうするつもりだったけど、とびきり高いやつを。何が良い」
「物で釣る?やっぱり子供扱いしてますね」
台詩は手厳しいが、表情を見る限りは御機嫌だった。彼女の方こそ、からかい半分で怒った振りをしていたらしい。
「どうしたら、機嫌が直る?」
「食事にしましょう。もう二時?空腹も忘れかけてましたよ」
腕時計に目を遣り、態度を急変させた。
「何が食いたい?」
「高いやつ!」
僕は苦笑した。
「気を、使ってくれてるのかな?」
僕は意外に思って言う。焼き肉辺りを覚悟していたが、彼女が決めたのは平凡なラーメン屋だった。
「もちろん。子供じゃないんだから、今日びの大学生にフランス料理なんてたかりませんよ」
「そりゃ、まぁ、フランス料理は流石にね」
僕は本日何度目かの苦笑を漏らす。
「みそバターと餃子下さい」
「餃子も?食いきれる?」
「余ったら、残飯処理は任せますよ」
いけしゃあしゃあと、翔子は言った。本当に言うようになってきた。元気で在れば文句はないのだが…。
「醤油一つ」
カウンターに向けて自分の注文を取る。餃子は多分、翔子から回ってくるだろう。食べ残しでも文句は言えない。
「さて、食べたらどうします?
「君に任せるよ」
怜治曰く、『紳士の条件その三』「相手にもよるが、行き先はちゃんとリードしろよ?無理矢理連れてくって意味じゃなくて、譲歩しているように見せかけて、さりげなく示唆を与えるんだ。高等テクニックだぜ?お前にできるかな?」
そんな彼の言葉が頭をよぎったが、無視した。
「う〜ん…じゃあ、動物園?」
翔子が言った。
「動物…園?」
「あっ、また子供扱いですか?」
「いや…別に。でも何で?」
「何でって、動物が好きだからですよ。おかしい?」
僕は眉に皺を奇せて疑問をあらわにしたが、
「ハイ。餃子お待ち!」
と言う店員にその顔は隠された。
結果として、餃子は全て翔子の腹に収まった。ラーメンより先に餃子が出されたのだから、当然の成り行きでは在る。代わりに僕が食べたのは、すっかり麺の伸びた、みそバターだった。
動物園に向かい、二人は電車に揺られていた。座席に座り、僕は物思いにふけながら、窓の外の過ぎ行く景色を見つめていた。翔子は一心に『若きウェルテルの悩み』を読んでいた。
日曜日だと言うのに、その退廃的な動物園には、人間よりも動物の数が多かった。
「動物園なんて何年振りかな」
翔子は瞳を輝かせて感嘆した。
「小学一年生の時以来。だろ?」
「え?」
「昔、君が僕にそう言った」
「そうでしたっけ?良く覚えてますね」
「仕事柄、記憶力は鍛えられてるんでね」
僕は特殊な意味を込めて言った。
「余り、関係ないと思いますよ?」
翔子は失笑する。
「そうかもね」
と言って、僕も笑った。
休日の昼下がり、僕たちは日が暮れるまで動物園を散策した。いつものように笑い合いながら…。それでも、僕の頭の中では、絶え間なく疑問の音が鳴り響いていた。
(イツカラキミハココデワラエルヨウニナッタノ?)
二人、肩を奇せ合い歩いても、この胸を満たすのは、「今」ではなく、「過去」…。また、怜治の言葉を思い出す。
『紳士の条件その四』「これが最後だ。いいか?良く聞いとけ。女の秘密には触れるな。如何なる理由でもな。女の秘密に、男が知って喜ぶ事なんて何一つとしてありゃしねぇからよ…」
彼の言葉に、僕は何と答えたのだろう。今となってはもう、思い出す事すらできない。怜治、僕は、触れてはいけないものに、触れてしまったのかもしれない。開けては行けない、パンドラの箱…。