《SOSは僕宛てに》-13
「私も、仮定は重視する人ですよ。何事もね」
「例えば?」
僕は訊いた。
「う〜ん…悲恋に終わった色恋沙汰。とか」
逡巡した後、翔子は言った。
「…成程」
僕は思わず失笑する。
「あっ…今鼻で笑いました?少しカチンと来ましたね。今の反応」
わずかに頬を赤らめながら翔子が言った。
「失敬。いや…誤解だよ。今のは、そう。感嘆の笑みさ」
「…じゃあ、そのニヤケ面を一刻も早く消して下さい。っていうか…感嘆の笑みって、意味不明です」
「最近の若者は、何でもかんでも安易に意味を求めすぎる。無意味にもまた意味は在る。とか、考えられない?」
「考えられませんね。いやもう、全く」
「…そっか。じゃあ、ゴメンナサイ」
「分かればよろしい」
型通りのオチを着けて、また僕たちは笑い合った。
そんな下らない遣り取りをしたのも、それを愛しく思えるのも、随分と久しぶりだった。高校以来か、いや、当時の同級生との会話とは決定的に違う。打算も譲歩もなく、素直に語り合えたのはやはり、あの頃。僕等がまだ中学生だった時以来だろう。それは、今まで僕がなくして来た感情だった。
「あっ、そうそう。これ、手紙のお返事です」
そう言った時、少しだけ翔子は複雑そうな顔をした。それは本当にほんの少しだけで、事情を知らない人なら気が付かない程度の差異だった。
「ああ。じゃあ、帰ってから読ませて貰うよ」
何も気付かなかったように、僕は言った。何となく、手紙の内容に触れないのが暗黙の了解で在るような気がした。 「うん。そうして下さい」 彼女もそう感じたのか、僕が書いた手紙の内容にも触れようとはしなかった。今は、それで良い。口で言いにくい事は、紙上の言葉で語り合えば。それが、現時点では最良の形に思えた。
僕はコーヒーを飲み干して手紙をポケットにしまい、腕時計を見た。
「仕事再会?」
と翔子。
「うん。休憩終了」
「大変ですね。亮さん。朝も夕も、大学に仕事の板挟み」
そう言って、翔子は腰を上げた。
「まぁ、自分で選んだ事だからね。じゃあ、コーヒーごちそうさま」
「いいえ。お粗末さまでした。仕事、頑張って」
「ああ。じゃ、また明日の朝にね」
「はい。行ってらっしゃい」
僕は手を上げて、暫しの別れを告げた。翔子は同様に応じて、微笑み返す。それを見た僕は踵を返した。そしてまた、逢えない時間が始まった。
いつものように食事の後、自室のシャワーを浴びて、火照った躰でベッドに飛び込み、読みかけの小説を開いた。スティーヴン・キングの『ガンスリンガー』。翻訳者の池央秋が僕好みの文体を書く人なのだ。難解な表現が所々に使われており、漢文を読み進めるような読み応えが在る(そういう意味では中島敦など、ツボである)。
このような小説は、語彙の補強に打って付けで在り、中学時代から僕が漢字を得意とする要因である。じっくりと時間をかけて二十ページ程読むと、一旦栞を挟んだ。本棚を物色し、悩んだ末に新たに取り出したのは、言わずと知れたコナン・ドイルの処女作『緋色の研究』。延原謙が翻訳したものだ。開くページは、無論109P。犯人が殺害に至る動機を明確に回想するシーンのスタートだ。ホームズの推理力や捜査の概要・進展以上に、このシーンは強く、鮮烈に僕の好奇心を引き付けて止まない。この一場面(とは言っても63Pに渡る荘大なワンシーンだ)だけでも、十分に物語として輝きの在る一節だろう。ベッドに横たわりながら読み進める内、次第に、美女ルーシイと、その義父ファリア。そして青年ジェファスンの姿が、あの、『光の末』の登場人物三人に重なってしまい、僕は本を閉じた。それぞれの性格は異なるが、位置関係が酷似している為だろう。『光の末』が、特別に影響力の在る作品だからではない。むしろ、不毛な小説ですらある。なにしろ、終り方に救いようがないのだ。
それでも『光の末』が僕のイメージに焼き付いて離れないのは、やはり、それが翔子の意思と密接に結び付いているからだろう。小説を棚に戻し、机の上に置いてあった、翔子の手紙を手に取り、椅子に腰かける。黄色い便箋の封を開け、綺麗に折り畳まれた手紙を取り出す。まるでラブレターだと、苦笑した。手紙を開く。