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《SOSは僕宛てに》
【少年/少女 恋愛小説】

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《SOSは僕宛てに》-12

 その代わり、思考のベクトルは『光の末』へと向けられた。今にして思えば、僕が『光の末』を読んだ後、妙な違和感を感じたのはきっと、無意識の内に物語を現実とリンクさせていたからではないだろうか。勿論、それは本を読めば誰もがそうする事だ。感情移入する事で、物語は輝きを増し、人の心に残る。しかし、今回はそれとは少し違う。僕は『光の末』を読み進める中で、「少女」と翔子を重ねていた。本来なら物語の主人公を、現実世界の知人と重ね合わせる事はまずしない。しかし、僕は前持って翔子の「傷」を理解した上で、彼女自身から『光の末』を受け取っていた。「少女」の「傷」を翔子のそれと認識したのは、恐らくそのせいだろう。どうやら、僕は今まで誤解していたようだ。僕の心を轍のような刻印がさざめかせていたその要因は、作者の意図的な小説技法ではなかったのだ。いや、それも歯車の一つでは在る。『光の末』を媒介とした、翔子からのサイレント・レター。その無言の手紙からのメッセージに気付いた僕は、どのような返信を宛てるべきなのだろう。
 憐憫や諧謔の語彙を弄した所で、それが彼女の裡に届き、療養の滋養と成り得るのだろうか。かと言って、僕にはサイレント・レターを宛てる為の媒介もない。幾等考えて見ても、堂々巡りの疑問の先に答えは見付からなかった。講義が終わるまで、僕はずっと果てしない思考の果てでさまよい続けていた…。
 大学から寮へ帰り、荷物を部屋に置くと、僕はすぐに新聞の分別とチラシの折り込み作業に勤めた。それが終わると、一息入れる間もなく夕刊配達へと向かう。相変わらず、然るべき心療方法は判然としていなかったが、煩悶するだけでは事態は進展しない。取りあえずは流れのままに。そう考え、僕はバイクを走らせた。
 新聞配達などしていると、一つ一つの家に個別の雰囲気を感じる。外観のみでも、風雨にさらされて変色した壁やカーテンの色。または、庭に放置された三輪車や、植木鉢。換気の為に空け放たれた窓や、そこから漏れるTVの音などから、それぞれの家の色濃い生活感が伺える。
 それらは皆酷似しているように、初めは見えた。しかし、最近になってようやく特徴に気付いてきた。些細な幸福を感じさせるような、陽気な雰囲気の家も在れば、何処となく陰鬱な翳を喚起させる家も在る。勿論、それは表面的な印象で在り、確固たる根拠は何処にもない。きっとそれらは、表情と呼べるものなのだろう。同じ顔でも、内的な事情によって代弁する形が変化するように。だから、今日見た家の雰囲気が、明日には違って見える事も在る。移り変わる喜努哀楽を見るのも、ほんの些細な楽しみでも在った。               数十軒の家の表情を拝み、僕は紀崎邸の前まで来た。この家に来るのは四度目だが、何故か、この家の表情はいつも同じだった。いや、同じ表情というよりも、無表情なのだ。何処かよそよそしく、無機質で、不可視の壁がそびえ立つようだ。その要因は分からないが、それが「嘆き」や「哀しみ」から来るものではない事を、僕は祈らずには居られなかった。
 玄関へと向かい、瀟洒な邸宅の前庭を歩く。ひっそりと沈む、夕暮れ待ちのしじまの先に、やはり翔子は居た。彼女は門扉の前に座ったまま、僕と目が合うと、軽くこうべを垂らして微笑みを浮かべる。割りとラフな服装だった。
「今日はいつもより早かったけど、いつから此処にお座りで?」
「十分…位前ですかね」
「家の人に変な目で見られない?」
「大丈夫。両親、共働きなんです」
不登校の娘を放って置いて働きに出るのは如何がなものか。そうは思ったが、無論、口には出さない。
「そうなんだ」
「そうなんです」
別段、悲しげな表情を浮かべた訳でもないが、一瞬だけ、その顔から何かが消えたのを僕は見逃さなかった。払拭するように笑い、僕は新聞を渡す。
「毎度どうも」
「毎度、ご苦労さま」
翔子も笑って受け取った。
「さて、業務で在る新聞を渡した所で、小休止といこうかな」
「ここからはプライベートタイム。ですね」
「うん。束の間の安らぎ、かな」
僕がそう言うと、翔子は楽しそうにうなずき、
「そうですね」
と言って、僕に腕を伸ばした。
「どうぞ、一服して下さい」
その細い手には缶コーヒーが握られていた。
「いただこうかな」
少し生温いコーヒーを受け取り、プルタブを引き抜いて一口だけ嚥下した。
「ブラックで良かったですか?」
「OK。コーヒーに砂糖の甘味は許せないタチなんだ」
「大人ですね」
「まさか。嗜好の問題だよ。格好つけてブラックばっかりたしなむ内に、味覚がブラックじゃないと受け付けなくなったんだ」
黒の缶を眺めて言った。
「嘘から出た誠。ですか?」と翔子。
「身も蓋もない言い方をすれば、そうなるね」
と僕。
「カッコイイんだか悪いんだか…」
「冷静に考えれば、後者かな。仮定は大事だよ。何事もね」
僕が冗談混じりに卑下すと、翔子はうなずいた。


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