「命の尊厳」前編-1
「ハァ!ハァ!ハァ……」
深夜。男は走っていた。必死の形相で靴も履かずに。
何かから逃げるように。
「ハァ!ハァ!……アアッ!」
男は足を引っ掛けて転んだ。
日頃、走る事に慣れてないのだろう。
「…つう…」
ズボンが破れ、ヒザからは血が滲をでいる。男はよろめきながら立ち上がると、這うように走りを続けた。
どれほど走っただろうか。
男は立ち止まる。荒く息を切らせて、こめかみ辺りから汗が流れている。
振り返って見る。わずかな外灯で先はよく見えないが、追って来る気配は無かった。
「…助かっ…た…のか…」
男の顔に少し生気が戻った。
疲労と軋む身体を引きずるように、歩みを進めようとした。
その瞬間、
〈ザクッ〉という鈍い音と共に、男の後頭部を刃物が貫く。
「ガアァッ!…アッ…ガアッ!」
刃物は後頭部を貫き、男の口から切先が飛び出していた。
男は崩れ落ちるように地面に倒れた。身体はバタバタと暴れ廻る。
「…ぐがぁ…ぁぁ…」
勢いで側溝に落ちる身体。
だが、それも徐々に弱くなり、やがて静かになった。
男に刺さった刃物の柄を掴み、ゆっくりと引き抜いていく。ヌルリとした感触が掌に伝わる。
刃物を抜き、しばらく男を眺めると足早にその場を立ち去った。
『命の尊厳』
ー深夜ー
夕方から降り出した雨は益々勢いを増し、それに伴うように突風や稲光が雨音に混じりだした。
郊外の住宅地。網目のように張り巡らされた道は、僅かな外灯に照らされ、ただでさえ見え難いうえに雨が余計に助長している。
その道をひとりの女が歩いていた。黒いレインコートに黒いパンツ。全身黒づくめに黒い傘。
彼女は見通しの悪い中を急いでいた。
女が十字路に差し掛かる。足早に通り過ぎようとした摂那、閃光が彼女を包み込んだ。