水宮祭[1]-3
彼女は少しの汚れもなく清らかで、冒しがたく見えた。
そして途方もなく美しかった。
話しかけてはいけないような気がした。そして自分には何もできない、踏み込んではいけない気がした。
静かに遠ざかり、脱ぎ捨ててあった彼女のサンダルを揃え、首にかけっぱなしだったタオルをその脇に置いた。ひたすら祈っている彼女を背に、来た道を引き返すしかなかった。
「ゃ‥…善矢ー…起きなさーいっ!よーしーやー!」
階下からけたたましい姉の声。
「う゛‥‥。」
寝ぼけ眼で携帯を布団に引っ張り込み開く。
8月3日 AM 6:30
まだこんな時間じゃないかー…。携帯を握ったまま、ウトウトとまた眠りの波に身を任せる。昨日はなんだか眠れなかったし…。そう、昨夜…‥‥
ゴッ!!!
「う゛ぇっっ?!」
腹にいきなり凄まじい重圧がかかった。飛び起きると、俺を踏みつけた姉がニカッと笑った。
「目覚めた?」
「姉ちゃ‥‥うわっ!」
一気にカーテンを開けられ、目の前が真っ白になった。目がまともに開けられない。
「あんた一人よ?朝ご飯食べてないの。健ちゃんとお父さんは競りに早くからいってるし。みんなもう働いてんだから、早く起きなさい!」
文句を言う間も与えない。切りっぱなしのデニムのショートパンツにレモン色のポロシャツ、小麦色の引き締まった足と腕がテキパキと動く。言いたい事を言うとさっさと階段を下りていった。
ガラス戸を両方開け、前の道路と玄関内を竹箒で掃き掃除をする。快晴だ。陽は徐々に光の強さを増している。今日も暑くなりそうだ。こんな風に一晩明けてみると昨夜のことは夢みたいだ。あれは本当に現実の事だったんだろうか。案外寝ぼけて勘違いしただけかも…。ガラスを拭いて、仕上げにバケツの水を打ち水した。
「玄関掃除終わったよー。」
母と姉は客の朝食の準備にあちこち立ち動いている。
「お、よっちゃん、次はちょっとこっち。」
「へーい。」
収入ゼロの、バイトより倍きつい労働が今日も始まる。
午前中にゴミ捨て、皿洗い、トイレ掃除を済ませて、今は屋根に登って梅雨の強風で壊れた、看板の電球を入れ替えていた。
くそー、業者を呼べよ、業者を。客商売なんだから…。
三つある内の一つだけだが、どうやら俺が帰って来るのを待っていた節がある。
『健次さんは板前さんだから手を傷つけたら大変だしねぇ。ほら、あんた工作は得意だったじゃあないの』
小学生の頃に俺の作った作品が賞を取ったのがおふくろの中では余程強烈だったらしい。確かに、表彰されたのなんてあれが最初で最後だったが‥‥しかしこれは工作の域超えてんだろ!大体、俺の体はいいのか?大学生だってレポート書きには手が必要だぞ。
「善矢ー。」
今日何回目のお呼びだろうか。まったく人使いが荒すぎる。
「今まだ直してるとこだって。あともうちょい…。」
「あんたじゃないの、このタオルー」
「あぁ?何のことだよ?」
姉が軒下から出て来て、白いタオルを振る。その姉の後に続いて、白いワンピースを着た女性が通りに現れた。
薄い布地がひらひら揺れる。
中点にかかった太陽に、溶けてしまいそうな儚げな人。
間違えようがない、昨日の彼女だ。
目が‥…、あった。