No.32 ペットボトル2-5
「辛く、悲しい事が起りやすい仕組みに出来ているんだよ」
逃げてもいないのに、追い討ちをされている気分になる。
足元から咎められている気になる。
「そしてぼくらはそんな事は微塵も考えず、ぬくぬくと物質的に満ちたりている生活をしている。日本、つまり…」
そいつはペットボトルの最上部を指した。
「ここでね」
そいつははっきりと笑っていた。
何となく、罪悪感に近い物の形が掴めてきた。
オレは何か、酷い事をしている。
多分、絶対に許されない、何かを。
底にはジュースが溜まっているというのにオレは上を向く。
あくびをしながら、手はポケットに突っ込んだまま、オレは平然とそこに存在する事ができるのだ。
だけど、だけどそれは…。
「…何が言いたい?」
そろそろ芯の部分を話してほしい。
お前が、言いたかった事を。
もう遠距離からチクチクと攻められるのはごめんだ。
さっきからずっと、胸が焦げている。
そこが痛いんだ。
「殺してるのさ。誰かを。ぼくらは。存在するだけで」
声が耳に入った瞬間、ぞくりと背筋が寒くなった。
なのにこいつの顔は果てしなく変わらない。
「見えていて、見えないふりをしている。分からない訳ないだろう?水滴とジュースとの高さの差なんて、あまり無い。十分目視できる。下を見ればすぐそこなのさ。ジュースは近くに溜まっている。気づいているだろう?でも、ずっと知っていたのさ」
そいつの目が再び細まった。
今まで見たことの無い、明らかにオレの知らないこいつだった。
口元には相変わらずの微笑をたたえている。
しかし細まった目には光らない、淀んだ異質がある。
何だ。
お前は今何を見ているんだ。
瞳には確かにオレが映っている、しかしこいつが見ているのは、絶対オレじゃない。
圧倒的に大きくて、恐ろしい、何かだ。
冷たい、寒い。
それでいていつも傍にある。
やめろ、そんな目でオレを見るな。
痛い、怖い。
オレを見るな、見るな、見るな、見るな。
「…何を震えてるの?」
オレは震えていた。
下を向き、手を祈るように組んで、震えていた。
そいつの目は見えない。
でも、まだ「あの目」をしているかもしれない。
駄目だ、見られない。
「…大丈夫、ぼくはその解決策を知ってるよ、簡単だ」
瞬間、反射でオレは考えもせずそいつを見た。
一瞬「しまった」と思い、固まったが、その顔にはだるそうな目と微笑が戻っていた。
少し、ホッとした。
「こうすればいい」
そいつはペットボトルを取り上げて、逆さまにして置いた。
ほぼ全てのジュースが、キャップ側に集まった。
「はい解決」
オレの目が、点になった。
「……は?」
「だから、これで解決じゃないか。天国と地獄が入れ替わった。後は引力のお陰で、みんな天国万々歳」
「………ハァ」
ため息しか出なかった。
馬鹿馬鹿しかった。
もう、何だか全てが馬鹿馬鹿しくなった。
こいつにも、こいつがする奇想天外な話にも、それを馬鹿正直に聞いてまんまとのせられたオレにも、夏の暑さにも、アブラゼミの鳴き声にも。
戯言だった。
全部が全部、ふざけた妄想だったのだ。
こいつの、もしかしたら、オレの。
さっきまでこいつに見えていた死にたくなるようなよく分からないモノは、もう思い出す事さえできない。