飃の啼く…第21章(後編)-1
「これより先へ入れるものは、南風殿」
目の前の狛狗族は、平安時代の随身(ずいじん)姿のような格好をしていた。顔つきはシーサーのそれに似ていたけれど、間違えようがないほど背は高く、がっしりしている。
南風さんが呼ばれて、一歩前へ出た。
「そして、青嵐殿。」
最後の名前の時にざわめきが走った。
「九尾は何を考えている?」と言う者、「罠に違いない。」と息巻く者。洞窟の中で、勢力が二つにわれ、また諍(いさか)いが始まった。その口論に加わらなかったのは私、茜と風炎、そしてもちろん飃。
「やはり、九尾守は最初から若をここにおびき寄せるつもりであったに違いない!」
「青嵐が九尾の御前に顔を出せば、青方のお命が危ない!狛!何故青嵐を中に入れる?!」
怒りと憎しみとが、狐火の熱気に暖められて立ち上る空気の揺らめきよりも明らかな姿を持って見えるようだ。あなじの一件を切り抜けてからというもの、私の中の何かが変わった。何が変わったかは、まだわからない。ただ、前よりも憎しみという感情に敏感になったような気がするのはわかる。
「今は何人たりとも、御方の玉の緒を絶やすことは出来ません。」
狛狗族が静かに言った。その言葉が、水面に広がる波紋のように口論を鎮めた。その声には、皆の怒りを静めるだけの真実がこもっていることがわかった。九尾に危害を与えられるものは何も無いと言う。
「何故だ?」
青嵐、今はそれ以外の名前で呼べる気がしない。この洞窟に近づくにつれ、私が知っていた颪さんの気楽な雰囲気は消えていき、この洞窟を半分も進んだ頃には完全に別人のようになっていた。
「…それは、ご自分の目で確かめるべきです。」
狛狗族はゆっくりといった。その短い言葉の中に、他に選択肢が無いという事実を織り込んで。黙り込む狗族たちに、南風が振り向いて言った。
「案ずることは有りません。私が御九尾をお守りする。」
不満げな音を立てたのは青嵐の狗族たちで、そのものたちを静めるように、青嵐が声をかけた。
「安心しろ。少なくともおれの首は繋げたまま戻ってくる。」
また派手な口論が始まる前に、青嵐が飃に言った。
「留守を頼みやす。」
「ああ。」
飃は、彼の顔を見ることは無かった。
もう、外は暗くなっている頃だ。
日の光を断たれることが、こんなに辛いことだとは思わなかった。それは狗族にとっても同じようで、皆黙りこくって洞窟の暗闇の中で座って、何をするでもなく…そう。ただ黙って座っていた。時々、誰かが悪意をこめて青嵐を槍玉に挙げる。すると、すかさず誰かが今度は南風か九尾を侮辱するようなことを言うのだ。